肉まん
家でもおいしいにくまんが作れます! 本当においしいんだからーっ
皮(12個分)
***このレシピは、1カップ200ccの日本の計量カップで作ってください***
薄力粉(All purpose flour) 200g
強力粉(Power flour) 100g
牛乳 1/2カップ(室温)
サラダ油 大匙2
イーストミックス
ドライイースト 大匙1
砂糖 大匙1
ぬるま湯1/2カップ
ボールにこの3つをいれて、発酵するまで約10分待ちます。
ボールに小麦粉をいれて、イーストミックス、牛乳、サラダ油を入れて、手でまとめながら混ぜます。生地がまとまってきたら、手の平でのばしてたたむ、といった動作を繰り返します。生地の表面 がなめらかになったら、丸く形をととのえて、サラダ油をうすくぬったボールにいれて濡れ布巾でカバーをして暖かいところで約2倍になるまで発酵させます。約30〜40分
肉まんの具
豚バラ薄切り肉(豚ひきでも良いです) 250g
生しいたけ 4つ
たけのこの水煮 小1本
ねぎ 10cm
しょうがの薄切り 2枚
しょうゆ 大匙2
オイスターソース 大匙1
ごま油 大匙2
酒 大匙1
塩 小匙 1/2
砂糖 小匙 2/3
鶏がらスープの素 小匙 1/3
作り方
豚肉は、包丁でたたくようにきって、そこにしょうがをのせて、一緒にたたいて味をしみこませます。たけのこ、ねぎ、しいたけは、みじん切りにしてほかの材料と一緒によく混ぜます。
皮の生地を12等分して丸くのばします。中に中身を適量いれて、生地の中央をつまんですぼめて形をととのえます。これを蒸し器に入れて強火で18分蒸します。
2009年1月28日|
カテゴリー:ピザ等
ピロシキ
<12コ分>
フィリング
バターかマーガリン 大さじ2
玉葱(みじん切り) 1/4カップ
ハム(みじん切り) 1 1/2カップ
生クリーム 1/2カップ
パセリ(みじん切り) 大さじ2
ウスターソース 大さじ1
生地
小麦粉 2カップ
塩 小さじ1
ベーキングパウダー 小さじ2 1/2
冷たいバターかショートニング 大さじ6
牛乳 3/4カップ
作り方
フィリング
フライパンにバターかマーガリンを入れて火にかけます。バターが溶けた所で、玉 葱を弱火できつね色になるまで10〜12分炒めます。そこにハムを加えて2〜3分炒めます。玉
葱とハムをボールにいれて少しさました後、生クリームとパセリとウスターソースを加えます。そこに塩、胡椒をします。
オーブンを450度(230)にあたためます。
皮
ボールにふるった小麦粉、塩、ベーキングパウダーをいれます。フォークかナイフでバターかショートニングを切るようにして小麦粉の中に混ぜます。混ざった所で、牛乳をいれます。フォークでボールに生地がくっつかない位になるまで混ぜます(1分以上混ぜない事)。
生 地を粉をふるった平な場所に置いてのばします。5ミリくらいの厚さにのばして、5センチ程度の四角形に切ります。その真ん中にスプーンでハムフィリングを のせて三角に折ってふちをフォークでよく押します。ベーキングシートにのせて、きつね色になるまで30分くらい焼きます。
できあがり!
2009年1月28日|
カテゴリー:ピザ等
ピザ
材料(大きなピザ一つ分)
ドライイースト 1 1/2パッケージ
ぬるま湯 1カップ
砂糖 大さじ1
小麦粉 3 3/4カップ
塩 小さじ1
オリーブオイル 大さじ3
作り方
小さなボールにイーストと1/2カップのぬるま湯(少し熱め)と砂糖を入れて、10分間置いておきます。
大きなボールにふるった小麦粉と塩をいれて、そこにイーストミックス、オリーブオイルと残りのぬるま湯をいれます。生地が丸くまとまるまでよく混ぜます。もし生地がねとねとしていたら、少し小麦粉を足して丁度良い具合にします。
生地を粉をひいた平らな場所において、5分間こねます。生地の表面にオリーブオイルを少しぬって、大きなボールにいれてサランラップでカバーをして暖かい場所で1時間半発酵させます。
オーブンを475度(245)にセットします。
発酵した生地をパンチしてガスを抜きます。生地を平にのばし、ふちを高くして、その内側にはフォークで跡をつけます。5分間オーブンで焼いたあと、好きなピザソース、チーズ、具をのせて、25〜30分焼きます。
できあがり!
2009年1月28日||トラックバック (0)
カテゴリー:ピザ等
ババロア
バニラ風味のおいしいババロワ。すきなフルーツを入れてもいいです。
材料:
卵黄 3
牛乳 200cc
砂糖 45g
バニラエッセンス 小さじ1/2
ゼラチン 一袋
生クリーム
200cc
作り方:
ゼラチンに少量の水を加えてふやかしておきます。
ボールに卵黄とグラニュー糖をいれて、白っぽくなるまで泡立て器でよくすりまぜます。
鍋に牛乳とバニラをいれて、沸騰直前まであたためたら、卵黄とグラニュー糖の入ったボールに泡立て器で卵黄を混ぜながら牛乳を少しづつまぜていきます。
2/3加えたところで、今度はボールの中のものを全部鍋にうつして火にかけます。
木べらでたえずかきまわしながら75〜80度になるまで加熱します。
とろみがついてきたら火をすぐに止め、ゼラチンをくわえて余熱で手早く溶かします。
目の細かいこし器を通して、鍋底を氷水に当てたボールに写して全体をなめらかにします。
すぐにゴムべらでかき混ぜながら冷ましていき、20度くらいになるまで冷まします。
これを少しづつ最初に作って冷ましておいた卵黄と牛乳ミックスにまぜていきます。
ここですきなフルーツを加えてもいいです。型に流し込んで、冷蔵庫で2時間くらい冷やしたらできあがり!
チーズケーキ
バナナパウンドケーキ
2009年1月28日|
カテゴリー:デザート
ティラミス
材料:
マスカルポーネチーズ 250g
卵黄 2個分
グラニュー糖 50g
卵白 1個分
コーヒーシロップ
- インスタントコーヒー 大匙2
- グラニュー糖 大匙1
- 熱湯 大匙2
- コーヒーリキュール(あれば) 小匙2
フィンガービスケット(スポンジなどでも大丈夫)12本
ココア 少々
作り方:
ボールに卵黄とグラニュー糖40gをいれて、泡立て器で白いクリーム状になるまでよくすり混ぜます。マスカルポーネチーズを2〜3回に分けて加え、均一になるまでよく混ぜます。
別のボールに卵白を軽く泡立て、グラニュー糖10gを少しづつ加えながら、さらに堅く角がたつまで泡立てます。最初のボールに2〜3回に分けて加え、静かにまぜあわせます。
コーヒーシロップを作ります。インスタントコーヒーとグラニュー糖を合わせ、熱湯を加えて溶かし、粗熱が取れたらコーヒーリキュールを加えます。長さ
2cm、さらに半分の厚さに切ったフィンガービスケットをカップの底にひき、シロップを十分にしみこませます。
クリームを重ねたら、フィンガービスケット、シロップ、クリームをのせる作業を2回繰り返し、3層になるようにします。表面を平らにならし、ココアをふります。
できあがり〜!
ガトーショコラ
2009年1月28日|
カテゴリー:デザート
カスタードプリン
まぜて焼くだけ、簡単でおいしいプリン。
材料:
卵 3つ(割ってほぐしておく)
牛乳 1 1/2カップ
砂糖 1/3カップ
バニラエッセンス 小さじ1
カラメルソース
砂糖 1/3カップ
作り方:
カラメルソースの作り方
鍋に砂糖を入れて、中火にかけてそのまま置いておく。10分くらい待つと、砂糖が焦げてカラメルソースが出来ます。とっても熱いので、決して指を入れて味見などしないように。火傷します。
オーブンを325度(160)度にあたためます。
カスタードの作り方
上の材料全部をよく混ぜます。カスタードミックスがだまになっているようだったら、目の細かいざるのようなもので、一度こしてもいいです。
小さなカップにカラメルソースを少ししれて、上からカスタードミックスをいれます。その小さなカップを、大きめの耐熱皿にいれて、約2cmくらいの高さまで、熱湯をいれます。オーブンにいれて、約30分焼きます。
2009年1月28日|
カテゴリー:デザート
シュークリーム
おいしくてかわいいデザート。思ったよりも簡単にできて、みんなに喜ばれるシュークリームです!
材料:
皮の作り方(10コ分)
バターかマーガリン 1/2カップ
小麦粉 1カップ
水 1カップ
卵 4
最初にオーブンを205(400)度にあたためておきます。
鍋にマーガリン(バター)と水をいれて沸騰させます。沸騰した所で、小麦粉を一気に入れて、よく混ぜます。火を止めて、生地が一つのボールになるまで混ぜ ます。混ざった所で、約10分待って、卵を一つづつ生地の中に入れていきます。木のスプーンでなめらかになるまでよくまぜます。
油をひいたシートパンに、スプーンかペストリーバッグで生地を落としていきます。5センチくらい間隔を空けて、並べていったらオーブンで30〜35分焼きます。
カスタードクりームの作り方
材料:
砂糖 3/4 カップ
大さじ4 コーンスターチ
牛乳 3カップ
卵 2つ、または黄身を4つ
バニラエッセンス 小さじ1 1/2
作り方:
鍋に砂糖とコーンスターチをいれて中火にかけます。そこに、牛乳を少しづついれていくと、固まってきます。牛乳を全部いれ終わった所で、約2分そのまま火
にかけておいて、そのあとその牛乳を1カップ分、ほぐした卵の中に入れてよく混ぜます。そのあと、卵、牛乳を鍋の中の牛乳の中に戻してよく混ぜます。沸騰
しない程度に、カスタードを2分くらい中火にかけておきます。最後にバニラエッセンスを混ぜてできあがり。
焼き上がったシュークリームの皮を二つに切って、カスタードクリームを中にいれます。お好みで、生クリームをしぼったり、パウダーシュガーを上にかけてもいいでしょう。 また、カスタードクリームとホイップクリームを半々の量
にしてまぜてシューにいれてもとってもおいしいです。
2009年1月28日|
カテゴリー:デザート
さつまいもとあずきのケーキ
冷蔵庫にさつまいもが一本、それに残りの缶あずきが半分あったのでこのケーキを作ってみました。
材料:
さつまいも 1カップから1 1/2カップ。ゆでてつぶしておく。でも、すこしかたまりがある程度につぶす。
あずき 1カップ
小麦粉 1 1/2カップ
砂糖 1カップ
ベーキング パウダー 小匙1 1/4
溶かしたマーガリン、またはバター 1/2カップ
サワークリーム 1/2カップ
卵 3個
作り方:
まず、さつまいもを小さく切って茹でるか電子レンジでチンする。茹であがったものを、フォークなどで小さいかたまりができるくらいまでの大きさにつぶしておく。
そのさつまいもに、小麦粉、砂糖、ベーキングパウダーを入れてよく混ぜ、そこに溶かしバター、サワークリーム、卵も入れてよくまぜる。混ざったところに、あずきを入れる。
焼き芋プリン
南瓜のチーズケーキ
2009年1月28日|
カテゴリー:ケーキ
アップルコーヒーケーキ
材料:
砂糖 1/2カップ
卵 2つ
バター(マーガリン)大さじ3
ヨーグルト 1/2カップ
小麦粉 1 1/3カップ
ベーキングパウダー 小さじ2
りんご(薄くスライスしたもの)3〜4カップ
砂糖 大さじ2
作り方:
オーブンを375度にあたためておきます。
まず、ボールに砂糖と卵をまぜあわせ、そこにヨーグルトと
マーガリン(溶かしたもの)を加えてまぜます。そこに小麦粉、
ベーキングパウダーをいれてよくまぜます。これを油をひいたパンに入れ、
上に薄くスライスしたりんごを奇麗にのせていきます。
その上に大さじ2の砂糖、好みでアーモンドスライス
などを乗せてもいいです。
オーブンにいれて35分から45分焼きます。真ん中に
楊枝をさして奇麗だったらできあがり!
あたたかいうちに切ってアイスをのせてもおいしいです!
2009年1月28日|
カテゴリー:ケーキ
チョコチップケーキ
まぜて焼くだけのフワフワでおいしいケーキ!
材料:
バターかマーガリン 1/2カップ
クリームチーズ(室温) 1パッケージ
砂糖 1カップ
バニラエッセンスー 小さじ1
卵 2
小麦粉 2カップ
バニラエッセンス 小さじ1
ベーキングソーダ 小さじ 1/2
塩 小さじ1/4
牛乳 1/4カップ
チョコレートチップ 1カップ
作り方:
オーブンを350度にあたためておきます。
ボールにクリームチーズとバター(または、マーガリン)と砂糖をいれてふわふわになるまでよく混ぜます。
そこに、バニラエッセンス、そして卵をひとつづつ入れてよくまぜます。そこに小麦粉、ベーキングパウダー、ベーキングソーダと塩をいれてよくまぜたあと、そこに牛乳とチョコチップをいれてよくまぜます。生地は、結構固めです。
これを油、またはバターをぬった型にいれて(上の写真にあるような型)30分から40分焼きます。
焼き上がったと、15分くらい冷ましてから、型からはずしてできあがり!
とっても簡単ですごくおいしいケーキです。
バナナパウンドケーキ
ガトーショコラ
2009年1月28日|
カテゴリー:ケーキ
スフレチーズケーキ
フワフワでおいしい!
材料:
クリームチーズ(室温) 300g
牛乳 50cc
グラニュー糖 90g
卵 3コ
コーンスターチ 30g
レモン汁 大さじ3
Cream of tartar 小さじ1/8
作り方:
まず、直径18センチの型に紙か油をしきます。オーブンを355(180)度にセットしておきます。
柔らかくしたクリームチーズに牛乳を混ぜます。グラニュー糖1/2と卵黄、コーンスターチ、レモン汁の順に加えてよく混ぜます。
別の大きなボウルで卵白を泡立てます。残りのグラニュー糖を3〜4回に分けて加え、cream of tartar も加えて泡立て器を持ち上げてツンとした状態までしっかりと泡立て、堅いメレンゲを作ります。
クリームチーズミックスに、卵白の1/2を加えて、ゴムベラで切り込むようにさっくりとまぜます。残りの卵白も同じようにさっくりと混ぜて、大きな泡が残らない程度にします。
型 に流し、表面を平らにしてオーブンで40〜50分、表面 がきつね色になるまで焼きます。ベイクする時に、熱湯をいれたパンの中に、このチーズケーキの生地を入れたパンをいれてベイクします。焼き上がったら、す こし冷ましてから型から抜きます。(熱いうちにナイフをいれてケーキのまわりを型からはずすといいですけど、ケーキは型から出さずにそのまま少しまってか ら出さないとケーきがくずれてしまいます)豆腐ケーキ
オレンジムース
2009年1月28日|
カテゴリー:ケーキ
パンプキンパイ
おいしいパンプキンパイの作り方。
材料:
2カップ かぼちゃ(かぼちゃの皮を剥いて、種を取ったものをレンジで串が通
るくらいのやわらかさまで(約3分)チンします。
2/3カップ 砂糖
1 小匙 シナモン
1/2小匙 ジンジャーパウダー
1/2小匙 ナツメグ
3 卵
2/3カップ エバミルク
1/2カップ 牛乳
作り方:
ボールに、かぼちゃ、砂糖、シナモン、ジンジャーとナツメグをいれてまぜます。そこに、卵を入れて、フォークでまぜます。エバミルクと牛乳を少しづついれて行って、よくまぜます。
パイクラストに流し込んで350度 (180)で40〜50分焼きます。そのあと、よくさまします。
できあがり〜〜〜。
2009年1月28日|
カテゴリー:ケーキ
パンプキンチーズケーキ
材料:
クラスト
市販されているパイのクラストを買ってきて使ってもいいです。
でも、自分で作る人は..
くだいたクッキー、クラッカーなど。
1 1/2カップ
ブラウンシュガー 1/4カップ
溶かしバター1/4カップ
を混ぜて、パイ型にかた〜くムラのないように押し付けて冷蔵庫に入れておきます。
フィリング
クリームチーズ 1箱
砂糖 1/2カップ
かぼちゃをレンジでチンしてつぶしたもの(または、かぼちゃの缶詰) 1/2カップ
生クリーム 大匙6
シナモン 小匙1/4
オールスパイス 小匙1/4
卵 1
モラッシス(または、カラメルソース) 大匙1
サワークリーム 1カップ
作り方:
ミ
キサーでクリームチーズと砂糖をボールのなかで混ぜます。そこから大匙2だけ取っておいて冷蔵庫へ入れておきます。 クリームチーズと砂糖を混ぜたものに
かぼちゃ、大匙1の生クリームとシナモン、オールスパイスをいれてよくまぜます。卵をまぜてよくまざるまで混ぜます。フィリングをクラストにいれて350
度のオーブンでほんのりきつね色になるまで約1時間焼きます。よくさまします。
さっ
き取っておいた、クリームチーズと砂糖を混ぜたもの1/2カップ分を、冷蔵庫から出して室温に戻します。そこに大匙5の生クリームとクリームチーズと砂糖
を混ぜた物に混ぜます。これを、冷めたチーズケーキの上にながし込みます。カラメルソースでこの上に細く横線をひきます。(1cm間隔くらいに)今度はナ
イフの先や楊枝で、縦に同じように線を上、下、上、下と1cm間隔にひいていきます。きれいな模様ができるはずです。サワークリームをペストリーバックに
入れて、ケーキの縁を飾ります。
南瓜のチーズケーキ
2009年1月28日|
カテゴリー:ケーキ
サブレ
サクッとしておいしいクッキーです。
材料:
バター 3/4カップ
砂糖 2/3カップ
卵黄 2個分
小麦粉 2カップ
卵黄1つとお水小さじ1をまぜたもの。
作り方:
バターと砂糖をボールにいれて、泡だて器でよくまぜます。そこに卵黄2コをいれて30秒ほどよくまぜます。
そこに小麦粉半分(1カップ)をいれてスムースになるまでまぜた後、残りの小麦粉をいれてさらにまぜます。
よくまざった所で、できあがった生地をサランラップに包んで冷蔵庫で2〜4時間冷やします。
冷えた生地は、1/3くらいにわけて、よく小麦粉をふった台の上に伸ばします。その後、型でぬ
いた生地を
よくバターをぬったシートパンにのせて、卵黄とお水をまぜたものをはけでぬ って、その上に砂糖を少し
ちらします。350度のオーブンで約8〜10分焼いてでき上がり!
ホットケーキミックスで作るマドレーヌ
2009年1月28日|
カテゴリー:クッキー
ジンジャーブレッドクッキー
クリスマスにピッタリのジンジャーブレッドクッキー。このレシピでかわいいジンジャーマンや家を作りましょう
材料
1 1/2カップ 砂糖
1カップ マーガリンか、バター(室温)
1/3カップ モラッシス(黒密)
1 卵
2 1/4カップ 小麦粉
1カップ 全粒粉
小匙2 ベーキングソーダ
小匙1/2 塩
小匙2 ジンジャーパウダー
小匙2 シナモン
作り方
大
きなボールに砂糖と1カップのマーガリンを入れて、フワフワになるまで混ぜます。そこにモラッシスと卵をいれて、よく混ぜます。混ざった所で小麦粉と全粒
粉、そしてベーキングソーダと塩、ジンジャー、シナモンをいれて良く混ぜます。ここで、ラップにこの生地を包み冷蔵庫で1時間ぐらい寝かすとこのあと
ちょっと便利です。でも、このままでも大丈夫です。オーブンを350度(175)にしておきます。粉を振ったテーブルなどにこの生地の1/4くらいをおい
て、5mmくらいの厚さに伸ばします。ここで好きなジンジャーブレッドマンのカッターなどを使って型をとります。
でき上がったら、シートパンにのせて、6〜9分やきます。焼き上がったら、平な所でさまします。型がくずれないように。このあとフロスティングで模様を書きます。
フロスティング
2カップ パウダーシュガー
小匙1/2 バニラ
大匙1〜2 牛乳
これに、フードカラリングなどで色を付けてもいいです。
2009年1月28日|
カテゴリー:クッキー
マカルーンバターカップ
ココナッツとクリームチーズを乗せたおいしいシュガークッキー。ちょっと面 倒かもしれないけど、すっごいおいしいクッキーです!!!
材料:
1 1/2カップ パウダーシュガー
1 1/2カップ バター(室温にしておく)
小匙3/4 塩
大匙1/2 バニラ
3カップ 小麦粉
作り方
生地がスムース&ソフトになるまでまぜます。小さく丸めてシートパンに並べ300度(150)で10分焼きます。
フィリング
1 1/2カップ パウダーシュガー
大匙3 小麦粉
大匙1/2 バニラ
120g クリームチーズ
3/4カップ くるみ(小さく刻んだもの)
3/4カップ ココナッツ
この材料全部をよくまぜます。
焼いたシュガークッキーの真ん中に、このクリームチーズフィリングを小匙1分のせます。その上に・・・
3/4カップ チョコチップ
大匙3 水
大匙3 バター
を一緒に溶かしたものを、上から少しだけかけます。 お好みでこの上にパウダーシュガーをふりかけてもいいです。
2009年1月28日|
カテゴリー:クッキー
チョコチップクッキー
材料:
バター 1カップ
ベーキングソーダ 小さじ1
オートミール 2 1/2カップ
ブラウンシュガー 1カップ
チョコレートをけずったもの、もしくはショコレートソース 少々
ベーキングパウダー 小さじ1
バニラエッセンス 小さじ1
小麦粉 2カップ
砂糖 1カップ
チョコレートチップ 12オウンス、(一袋)
塩 小さじ1/2
卵 2
ナッツ(くるみ) 1 1/2カップ
作り方:
すべての材料をよくまぜて、375度のオーブンで8〜10分焼くだけ。ピンポン玉 のように丸めて、隣同士を離して焼きましょう。おいしいチューイーなクッキーがたくさんできます!
2009年1月28日|
カテゴリー:クッキー
ピタブレッド
材料:
イースト 小さじ1
ぬるま湯 2 1/2カップ
ホールウィートフラワー 2 1/2カップ
塩 大さじ1
オリーブオイル 大さじ1
小麦粉 2 1/2〜3 1/2カップ
作り方:
大きなボールにイーストとぬるま湯をいれます。木のスプーンで同じ方向に無かってまぜながら、ホールウィートフラワーを
1カップづつまぜていきます。100回、もしくは生地がスムースになるまで混ぜます。
このボールにサランラップをして、30分から8時間休ませます。長く休ませたほうが、味が良くなります。
生地を休ませた後、ここに塩とオリーブオイルを入れておなじ方向に混ぜていきます。そこに小麦粉を1カップづつ加えて
生地が固くなりすぎない程度まで小麦粉を加えて行きます。
粉を少しひいた台の上に、この生地を広げて8〜10分くらいよくこねます。
このあと、きれいな乾いたボールに少し油をぬ って、ここに生地をいれてサランラップをして室温で2〜3時間待ちます。
オーブンを450度にあわせます。シートパンも一緒にあたためておきます。
生地を粉をふった台の上において、半分にしたあとこれをまた8等分します。これをひとつづつまるめて、そのあと
麺棒で伸ばして丸くしていきます。残りの半分も同じようにして16個分つくります。
ピタを焼く時は、よく暖めてあるシートパンに3つくらいづつ生地をのせて焼きます。3〜5分で、生地がプクーっと
ふくらんでピタブレッドのできあがり!
2009年1月28日|
カテゴリー:パン
ヘルスブレッド
ヘルシーな物がたくさんつまったその名もヘルスブレッド。 ほんのり甘くて、とてもおいしい!! ジェフのおばあちゃんのレシピです。
材料:
イースト 2パック
砂糖 大さじ3
ぬるま湯 1カップ
モラッセス 1/2カップ
熱湯 2カップ
オートミール 1 1/2カップ
卵 2
オリーブオイル 1/2カップ
強力粉 6カップ
ホールウィート粉 1 1/2カップ
オールブラン 1/2カップ
ホィートジャーム 1/3カップ
作り方:
イーストと砂糖とぬるま湯を小さなボールにいれて、10分くらいまちます。
大きめのボールに熱湯、オートミール、モラッセス、オールブラン をいれて、混ぜてオートミールをやわらかくして冷ましておきます。もう一つの大きいボールに
全部材料をいれて、よくまぜます。
小麦粉は、最初4カップくらい入れて、丁度よいくらいまで少しづつ足していった方が良いです。 よく混ぜたあとで、ボールに油をぬり、生地を入れてひっくり返して生地の表面 にも油がつくようにしてラップをしたまま暖かい所で1時間くらい、生地が2倍の大きさになるまで発酵させます。 一次発酵が終わった所で、ロールにする場合は好きな形にまるめて、ローフにする場合は型にいれて 二次発酵を40分くらいさせます。この時に、オーブンを350度(175度)に してオーブンを 暖めておきましょう。二次発酵がおわったら、オーブンにいれて、ローフだと約45分から55分、 ロールの場合は20分くらい、表面がきつね色になって、ロールの底の部分もきつね色に なったらでき上がりです。
2009年1月28日|
カテゴリー:パン
プレッツェル
材料:
小麦粉 3 〜 3 1/2カップ
砂糖 大匙1
塩 小匙1
イースト 1パッケージ(大匙1)
水 1カップ
ショートニング(マーガリン、バター) 大匙1
水 6カップ
ベーキングソーダ 1/4カップ
水 大匙1
卵の白身 1
粗塩、白ごまなど少々
作り方:
大
きなボールで1カップの小麦粉と砂糖、塩、イーストを混ぜる。小さな鍋に、水1カップとショートニングを入れて、沸騰ちょっと前くらいまで温める。小麦粉
などが入った大きなボールに、水とショートニングを温めたものをいれて、混ぜる。3分くらい混ぜた後に、1 1/2〜1 3/4カップの小麦粉を入れて
ボールにくっつかないくらい生地がまとまってくるまで混ぜる。
そこに、さらに1/2〜3/4カップの小麦粉をまぜて、生地が丁度よくなるくらいまでこねる。油をぬ ったボールに生地をいれてラップでカバーをして、暖かい所に置いて45〜60分発酵させる。
シートパンに油をぬって、生地をおく。生地をパンチしてガスを抜き、丸くしてから12当分する。小さく分けた生地を、20cmくらいの長さにして、プレッツェルの形にする。ラップをして、更に15〜20分発酵させる。
細長くした生地で、円を作るようにして、生地の端と端をクロスされて、一度ひねってハート型を作る。
オーブンを400度(205)にセットします。大きなアルミ でない鍋に6カップの水と、ベーキングソーダをいれて、沸騰させます。プレッツェルを一つづつ入れて、両サイド5秒づつ茹でます。茹でおわったら、油をひ いたシートパンに一つづつならべます。大匙1の水と卵の白身を混ぜたものをプレッツェルの表面 に塗り、そこに粗塩や白ごまを少しふって、オーブンで8〜10分焼きます。きつね色になったら、シートパンからすぐにワイヤーラックなどに乗せます。あた たかいうちに、マスタードなどをつけていただきます。
2009年1月28日|
カテゴリー:パン
ビスケット
材料(12個分)
2カップ 小麦粉
小匙1/2 塩
大匙3 ベーキングパウダー
1/2カップ バター、マーガリンかショートニング
3/4 から1カップ 牛乳
作り方:
小麦粉、ベーキングパウダー、塩、のはいったボールに、バター(マーガリン、ショートニング)を入れてフォークでさくさくと混ぜます。そこにミルクを丁度
良い感じになるくらいにいれてまぜます。まぜすぎない程度にサクサクとまぜます。まぜすぎると、サクサクとしたレイヤーがなくなってしまうので、こねない
で生地をボールのなかでなんとなくまとめたら、折るようにしてまぜていきます。
生地を3〜4センチくらいの厚さにのばして、丸い型でぬ いていきます。210度のオーブンで、きつね色になるまで、約8〜12分焼きます。
2009年1月28日|
カテゴリー:パン
スコーン
スコーンには、自分の好きなフルーツなどを入れます。例えば。。。レーズンや、クランベリー、リンゴを小さく切って、砂糖 とシナモンとバターでソテーしたものなどをいれます。レーズンやクランベリーを入れる時は、お湯に入れて20分くらい戻しておきます。その後は、しっかり 水気を切っておきます。
材料:(12個分)
好きなフルーツ 1カップ
小麦粉 4カップ
塩 小匙1
ベーキングパウダー 大匙2
砂糖 1/4カップ
生クリーム 1 1/4カップ
(または、牛乳と生クリームを半分づつ。)
卵 2
マーガリン 1/2カップ
作り方:
作り方 小麦粉、塩、ベーキングパウダー、そして砂糖をまぜます。そこに、冷たいまま小さく切ったマーガリンをいれてフォークなどでサクサクと混ぜます。生クリームと卵は別
のボールにいれて、よく混ぜておきます。
小 麦粉がはいったボールに、クリームと卵をミックスしたものをいれて、その後に、フルーツをいれます。 ひと固まりになったところでボールからだして、10回だけこねます。でも、こねすぎてはダメです。"これで、いいのかな?"って思うくらいで十分です。二 つにわけて、生地を2〜3センチの厚さにして、円型にします。それをナイフでケーキを切るように6等分して三角にします。
400度(200C)で15分焼きます。焼き上がったあと、スコーンの上にパウダーシュガーをかけると奇麗です。
2009年1月28日|
カテゴリー:パン
シナモンロール
簡単に作れておいしいシナモンロール。一度作ってしまえば、冷凍して保存も可能です。また、生地だけ前日に作っておいて、一晩冷蔵庫で寝かせてから次の日に焼く事もできます。
材料 (16個分)
熱いお湯 1カップ
マーガリン(室温) 1/4カップ
砂糖 1/4カップ
卵 1
塩 小匙1/2
小麦粉 1 & 1/2カップ
ドライイースト 大匙1
フィリング:
バター 1/2カップ
小麦粉 大匙2
ブラウンシュガー 1/2カップ
砂糖 1/4カップ
シナモン 大匙3/4
を白くなってくるまで、よ〜く混ぜます。
フロスティング:
パウダーシュガー 1カップ
牛乳 大匙2
アーモンドフレーバー ほんの少し(あれば)
パウダーシュガーに、少しづつ牛乳を足していって、すきな固さにします。
クリームチーズフロスティング:
クリームチーズ 4oz
粉砂糖 1 1/2カップ
バター 1/4カップ
バニラエッセンス 少々
材料をよく混ぜてでき上がり。
作り方:
上の材料をすべてボールに入れます。混ぜ始めたら、生地がほんの少しベタッとする位 まで、小麦粉を加え続けます。 よーくこねていくと、生地が大きなボールのようにひとかたまりになります。
別の大きなボールに油を少しぬって、そのなかに生地を入れてサランラップでカバーします。そのまま発酵させるために1時間ちょっと置くと、前の生地の2倍くらいの大きさまでふくらみます。
ふくらんだ生地をパンチしたあと、生地を2等分します。その生地を長方形にのばして、向こうを5センチくらい残してフィリングをぬ って巻きます。 ナイフをぬらしながら、2センチ間隔くらいに切っていきます。そのあと、オーブンシートに間隔をあけて置き、ぬ れタオルなどを上にかぶせてさらに40分くらい発酵させます。(ここで発酵させず、そのまま冷蔵庫で一晩置いて、次の日に焼く事もできます。ここで冷蔵庫 で寝かせる場合は、焼く前に40分くらい室温で置いておいて発酵させます)
350度(180度)のオーブンで、約20分、またはきつね色になるまで焼き、表面 に溶かしバターをぬります。シナモンロールが冷めたら、上にフロスティングをかけてできあがり!
2009年1月28日|
カテゴリー:パン
Evergreen State College
初めてEvergreenの事を知ったのは、私が編入する大学を探し始めた頃。その時は、あまり
良い印象がありませんでした。"成績表の無い学校"とか"ヒッピーがたくさんいる学校"って
事で変な学校と思ってました。
コミュニティーカレッジも終わりに近づいて、編入する先の大学をどこにしようか調べていたときに、
またEvergreenを思い出しました。知り合い数名にEvergreenの事を聞いたら、本当に近くに
Evergreenの卒業生が数人いて、みんないい学校だと進めてくれたのでもっと調べる事にしました。
まず学校に問い合わせてアプリケーションを送ってもらって、それから学校説明会へ行きました。
説明会は、少人数でアドバイザーに色々質問する事ができて、その後は、ボランティアの人が
学校のツアーに連れていってくれました。学校の敷地はほとんどが森で、その中のほんの一角に
校舎があります。学校の雰囲気や生徒達、それからカリキュラムなんかが気に入って、願書を
送る事にしました。学校の規模が他の総合大学と比べて小さく、全校生徒は4000人くらい
だったと思います。アドバイザー達は親切に面倒を見てくれます。私がずっと連絡を取っていた
トランスファーしてくる生徒専門のアドバイザーは、本当にちょくちょくメールをくれて、色々
アドバイスしてくれました。ある日、アポイントメントを取らずに彼女のオフィスに行ってみたら
私の顔を見るなり"ふみえ?"と聞かれたくらい。留学生の数は全体で40人くらいなので、
インターナショナルアドバイザーもよくしてくれます。
エバーグリーンから合格通知が送られてきた時は、本当に嬉しかったです。エバーグリーンは
他の学校と比べるとちょっと違うかもしれません。クラスは、ほとんどが1年続くカリキュラムに
なっています。1学期16単位までしか取れないので、フルタイムが16単位、ハーフタイムが8単位、
パートタイムが4単位、2単位になっています。フルタイムのクラス、それからほとんどのハーフタイムのクラスは、
タイトルがついていて、一つの教科だけでなく、色々な科目を何人もの先生から学ぶのです。というのは、
何事も、学んで行くと他の教科に繋がるという事です。
成績表が無いというのは、じゃあどうやって成績を知るのか?ってなりますが、私が新入生オリエンテーションで
言われたのは、同じクラスのほかの人がどのくらい勉強できようができまいが、関係ない。
要は自分がどれだけ学んだかだ、という事。なので、例えばある生徒が最初からある程度の知識の
ある教科を取ったとします。この生徒はテストで良い点数を取るかもしれないけど、それ以上に
もっと学ぼうとしなければ、最初はまったくその教科の知識がなかったけど、最後にはかなり
の知識をつけた人の方がよい成績をもらえるという事。他の人が点数が良いからといって、自分がその人よりも点数が
低くても学ぼうとする態度、学んだことによって自分の成績の方が良くなるという事。
これって前は考えたことがなかったけど、今はなるほどなあと思います。成績表が無いというよりも、
アルファベットでの成績が無いかわりにEvaluationがあります。これは、学期の最後に自分が何を学んだか。
そして、先生へのEvaluationをまた別に書きます。先生がどんな風に授業をして、何が良かったかとか良くなかったなど。そして、先生から
生徒へのEvaluationをもらいます。それに加えて先生とのコンファレンスもあります。一人づつ先生と15分くらい話合うのです。
もう一つ、エバーグリーンの独特のスタイルは、コントラクトだと思います。これは、自分でカリキュラムを組んで、フルタイムなり
ハーフタイムなりの研究を自分でして、最後にコントラクトの先生に見せて評価してもらうという事。これは、学校でオファー
されていないけれども、自分の興味のある事を自分で研究してパーパーなどにまとめて提出するのです。コントラクトの先生を探して
先生からアドバイスをもらいながら仕上げて生きます。自分が学ぶ事は何でもかまいません。先生からオッケーがでたら
何でも良いのです。私の友達はRaveについてのペーパーを100枚書いたそう。他には、ワシントン州のワイルドライフの研究で
1学期、山にこもって野生の動物の写真を撮ったりと色々です。私は、Streaming Videoについてコントラクトをして、4単位
もらいました。
最後にエバーグリーンの卒業式ですが、これも生徒達で作り上げていくという感じでとても好感がもてました。
まず、ゲストスピーカーは、みんなで候補をあげて、その中から生徒達が投票できめます。式で使われる曲も、
その後のレセプションの曲、卒業式のテーマなど、すべて投票です。生徒代表のスピーカーも
スピーカーをしたい人のオーディションがあって、そこで選ばれます。卒業式のリハーサルで着るTシャツのデザインも
生徒達がデザインして、生徒達で選びます。その収益金は、地元のシェルターなどへ寄付されます。
他にも、学長をきめる選挙、バジェットの事など、何でもメールで生徒達に連絡が来ます。候補者の情報やスピーチ
なども生徒が参加できるようになっています。こういう事、学校に入る前は知りませんでしたが、後から知って
なるほど、と思ったのです。
エバーグリーンは、ヒッピーの多い学校というイメージがありますが、綺麗にお化粧をして、ブランド物を着てる人は
ほとんど見ません。ナチュラル系が多いです。フットボールチームとか、ソロリティー、フラタニティーが無い事も
私はいいなと思ってました。ちなみに、学校のマスコットはGeoduck(グイダック)みる貝です。いかにもエバーグリーンらしい
って感じかな。
2009年1月28日|
カテゴリー:Studying in the US
私がEvergreenで勉強した事
これはハーフタイムのクラスなので、他にもAudio in Mediaというクラスを取ったり、コントラクト、
インターンなどをして、フルタイムになるようにしてました。
Community Information Systemは、1年間続いたコースです。コースの始まる前に、先生が
ノンプロフィットの組織や小さな市などに、データベースのソフトウエアや、サーチエンジンなどを
必要としている所がないか探して、いくつもの候補の中から20くらい選んで、その中から自分達の
やりたいプロジェクトを選んでその組織の必要としているソフトウエアを作り上げるというクラスでした。
組織の中には、オーストラリア、ヨーロッパ、アジア、そしてアメリカ、アフリカ、南米、本当に色々な
国から色々な種類のオーガニゼーションから仕事のオファーがきました。クラスなので、勿論無料で
ソフトウエアを1年かけて作るというコンセプトです。とってもシリアスなプロジェクトもたくさんありました。
私達のグループは、サンフランシスコのECOというノンプロフィットの組織に、世界中のエコロジー系
ノンプロフィットオーガニゼーションのデータベースとサーチエンジンを作るというプロジェクトでした。
元々4人だった私達のグループ、2学期目には一人減り、新しく一人はいって、3学期目は、一人抜けて
3人でした。同じグループのJeffとJeremiahは今でも連絡を取り合ってる友達です。1年間一緒に
クラスを受けていると、クラスメイトともっと近い関係になれます。サンフランシスコのECOグループとも
常に連絡を取り合って、世界地図を作って、ウェブ上でワードサーチ、地図でのサーチ、そして
新しくオーガニゼーションを入れたり消したりできるデータベースを作りました。
私のクラスは、週に1度、夜の6時から10時まで、土曜日は1週置きに朝の9時から5時までのクラス。
でも、ずっとレクチャーではなく、先生の講義(先生は2人で、二人ともボーイングのプログラマーだった
人たち。一人は、今でもボーイングで働いてます)では、基礎を教えてもらって、その後、コンピューターラボ
にいって、グループごとにプログラムをしていって、先生に質問しながらプログラムを組み立てていく
という感じになってました。先生達は、本当に親身になって教えてくれて、メールで質問すると
すぐにヘルプしてくれました。でも、このクラスは、プログラミングのほかに、Social Scienceのクラスも
入っていて、それぞれのコミュニティーの問題点などを話し合ったり、こういうソフトウエアがどういう所で
どういう風に使われているか、その問題点などを話し合ったり、ビデオを見たりという事もしました。
グループによっては、アフリカのある国のエイズ患者のデータベースを作ったり、ロシアの原子爆弾が
もれていて、その地域の人たちがどんどん癌や白血病に犯されているのに、政府は知らん顔を
している小さな町のデータベースを作ったり、その地域のビデオを見たりもしました。なかなか
相手のグループとの連絡が取れなくて、途中で他のプロジェクトに移らないといけないグループも
ありましたが、ほとんどのグループは最後の日までにソフトを完成させました。
学期の最後には、プレゼンテーションをして、自分のグループがどこまでプロジェクトを
進めたかを発表します。他のグループがどんなものを作っているのかが見られて面白かったし、
似たようなプロジェクトをしている同士で、情報を交換しあったりして為になったと思います。
夜のクラスだった為か、ほとんどが昼間働いている20代後半以上の人が多く(男性が多かった)、
やりやすかったです。このクラス、本当に為になりました。宿題で小さなプログラムを組み立てるのは
コミュニティーカレッジでやりましたが、このクラスでは、作った物が実際に誰かの役に立つ
という事で、もっともっとやる気が湧いた感じがします。
もう一つのクラス、Audio In Mediaは4単位のクラスでした。
初日、クラスに行くと女は私一人だけ。他はほとんどがミュージシャンの男の子達でした。
私は、ずぶの素人。ただ単位が必要な為にこのクラスを取ったので、オーディオについては
何の知識も無かったのです。毎週、色々な宿題をだされて、しょうがなく(?)クラスメイトに
助けてもらいながら、それをこなしていきました。結構、みんな親切に色々教えてくれて
助かりました。機械と機械を繋げて、何かをレコードして、それを今度は、ソフトを使って
切って、つなぎ合わせるとか、そんな事を習ったのです。何かをレコードするにも、私はギターとか
弾けないので困ったのですが、それはクラスメイトがミュージシャンなので助かりました。
みんな、これでもかといわんばかりに色々弾いたりして、色々レコードできました。
即興で歌を作ったり、色んな楽器を狭いラボ(地下で窓がなく、長くそこにいると結構息苦しい所)
に持ち込んで、みんな楽しんでたみたいです。私も、何か楽器が弾けたら!と思いました。
という訳で、最初は訳わからなかったのですが、無事にテストにパスして(テストにパスしないと
ラボを使えない!そこにある機械を壊されたりしたら困るので、最初の2週間はラボを予約して
そこで色々練習して、実地テストを受けるのです)クラスを続ける事ができました。
先生は、かなりのGoof ballで、先生を見てるだけでもかなりおかしかったクラスでした。
2009年1月28日|
カテゴリー:Studying in the US
Visa and School Life in the US
留学を目指している人はとても多いと思います。私が自分のホームページに留学について少し書き始めてから、よく留学 についての質問などをメールでいただくようになりました。ここに少し留学するまでの過程やビザの事、そして留学後についてなどを書いてみたいと思います。 私はNorth Seattle Community Collegeに留学中に、1年半International Student Programsでアルバイトをしていたので、ビザや学校のしくみになどについてわかった事をここに書きますが、もしここにある情報が間違っていたとして も私は何の責任も持てません。 自分の持っている情報をシェアしようという目的でこのページを作っているので、最終的にここに書いてある事を信用するかどうかはあなた次第です。なにか間 違っている事や、その他の情報などがありましたら、メールや掲示板でお知らせください。また、何か自分で質問や困った事があった時は、学校のアドバイザー に相談するのが一番です。手後れになる前に早目にアドバイザーに相談するようにしましょう。
まず、私が留学するにあたってどこから始めたかを書きます。
私 が最初の留学先をワシントン州、Mt.VernonにあるSkagit Valley Collegeにきめたのは、高校の時にホームステイした先のホストファミリーの家から近いからでした。まず最初に学校に手紙でアプリケーションとパンフ レットの請求をしましたが、今は簡単にメールでできます。
私がスカジットに入るのに必要だったのは、願書、残高証明、高校、専門学校の成績証明書、なぜスカジットに入りたいかという事を書いたエッセイ、あと、Financial Responsibility Statementという誰が学費を払うかを証明するもの、TOEFLの結果 。これは、TOEFLのオフィスから直接学校に送ってもらいます。
し ばらくすると、学校からI-20という書類が送られてきます。これは入学許可のようなもので、これがあると学生ビザをアメリカ大使館にアプライできます。 私が学生ビザをアプライした時は、I-20の他に、大使館に置いてあるアプリケーションに自分の顔写 真を貼ったもの、銀行の残高証明、パスポートを大使館に送りました。そのあと1週間くらいで学生ビザのはってあるパスポートが送られてきました。これは、 私が98年に2度目の学生ビザを申し込んだ時も同じ方法でしましたが、5日後には学生ビザが送られてきました。この時は、ビザを取るのが難しくなっている と聞いていたので、自分が何を勉強したいかを詳しく書いた手紙と親からのアメリカに留学中は金銭的な事はサポートしますという手紙を一緒に送りました。あ まりにも早く大使館からの封筒が送られてきたので中を見るのが恐かったのですが、ちゃんとビザが送られてきました。
学 生ビザ(F-1またはM-1ビザ。M-1は料理などの専門学科を勉強する人の為のビザで、このビザの場合、卒業後のプラクティカルトレーニングの期間が F1の生徒とは違います。)が送られてきた後は、留学先で寮に入るのか、ホームステイをするのか、それともアパートを探すのかを決めて、早めに手続きを取 るのがいいと思います。
スカジットに通っている時は、学生ビザを持っている人たちが何をしていいのか、したらいけないのかを学校からよく説明されなかった(もしくは、私がよく英語を理解していなかった)ので、North Seattle C.C. のInternational student programsで働きはじめてから"あ、そうだったんだ!"とわかった事がたくさんありました。
学校のシステムについて(コミュニティー カレッジ)
アメリカの学校の仕組みは日本のそれとはちょっと違います。これは、本などでくわしく説明されていると思うので詳しくは書きません。コミュニティーカレッ
ジというのは、日本語にすると短大という風になるようですが、日本の短大とは少し違います。コミュニティーカレッジという名前の通
り、地元の人たちが誰でも通える学校です。高校を卒業する前の16、17歳くらいの生徒から、仕事を引退した後のおじいさん、おばあさんまで生徒の年齢層
はとても広いです。コミュニティーカレッジには、ランニングスタートというコースがあって、これは高校卒業前の生徒が、決められたクラスを取ると2年くらいで高校卒業、または高校卒業の資格と大学の最初の2年のクラスを終了できるコースもあります。ランニングスタートを留学生でもできる学校もあります。
コ ミュニティーカレッジには、日本で言う専門学校のようなコースがたくさんあって、そのコースも1学期で終わってしまうもの、また1年、2年、それ以上かか るものと色々です。コースも、幼児教育、料理、時計を直す、ヒーターを直す、コンピューター、ネットワーキング、車の修理。。。などなど、学校によって本 当に様々なクラスがあります。このような専門学校のようなコースの他にも、もちろん、ジャーナリズム、数学、国語などの勉強を専攻をする事もできます。ま た、コミュニティーカレッジで大学の最初の2年を終えて、その後4年制大学の3年目に編入するカレッジトランスファーのクラスもあります。これは、決めら れた枠の中から決められただけの単位 を終えた所で同じ州内にあるほとんどの大学にその単位をすべて移す事ができるという事です。州が違う大学に行く場合は、その大学によって要求される単位 やクラスが違う場合もあるので、クラスを取る前に自分の行きたい大学を決めて、その大学の要求する単位 や成績などを調べるのがいいと思います。 また、日本で専門学校や短大、大学などを卒業している人は、その学校の成績証明書を必ず学校へ送った方がいいと思います。学校から認められた日本で取っ た、または他の学校で取ったクラスは取らなくてもいいので、その分時間と学費が少なくて済みます。
私がSkagit Valley Collegeでとったカリナリーアーツ&ホスピタリティーマネージメントのコースは、いわゆる日本でいう専門学校のようなコース。私がそこでとったクラスはここです。そして、私が四年制大学へ編入する為にNorth Seattle Community Collegeで取ったカレッジトランスファーのクラスはここです。
入国
ア
メリカに入国する時には、I-20が必要ですが、このI-20は自分が勉強する学校から発行されている物でないといけません。もしも、自分の通
う学校と違う学校のI-20でアメリカに入国してしまった場合は、自分の通うと決めた学校からINSにReinstatementという手続きをしなけれ
ばなりません。これには、違う学校に行きたくなってしまった理由、$100が必要です。アプライする際に必要な書類は学校でもらえると思います。
ビザ
よく、ビザが切れるから日本に帰ってもう一度取るなんて話を聞きますが、ビザはアメリカに入国する時に必要なもので、アメリカに合法で滞在している間は
(フルタイムで勉強しているという事)ビザが切れても大丈夫です。日本にわざわざ帰ってビザを更新するのではなく、次に日本に帰った時にビザの更新をすれ
ば良いという事です。また、カナダやメキシコでもビザの更新はできます。
アメリカに観光ビザで来て、留学をしようと考えている人もいると思いますがそれはできません。6ヶ月間の観光ビザをもらってアメリカに入国してすぐに学 校に通 う事はできません。また、通えたとしても、観光ビザから学生ビザに変える事は難しいようです。ビザを変える事をChange of Statusといいますが、これは観光ビザも終わりという頃にアメリカに残って勉強したいと決めた時、もしくは自分のだんなさん、おくさんが学生、または H-1(ワーキングビザ)を持っている場合、働けない、フルタイムで学校に通 えないビザから学生ビザに変えたいという場合にもします。F-1、H-1ビザの家族用のビザを持った人たちは、学校でパートタイムで勉強する事はできます が、学校内で働いたり、何かのコースを終了後のプラクティカルトレーニングには申し込む事ができません。学生ビザを取ってしまったらフルタイムで勉強しな ければなりませんが、その代わりに学校内でのアルバイト、プラクティカルビザに申し込む事ができるなどのメリットがあります。
勉強
学生ビザで滞在している生徒は、いつもフルタイムで勉強しないとなりません。フルタイムとは、1学期に最低12単位
のクラスを取るという事です。(これは、クォーター制の学校で、セメスター制の学校の事はわかりません)。フルタイムとは、最低12単位
のクラスを取って2.0以上の成績でパスしなけれならないということで、それ以下の成績の場合は12単位
取った事にはなりません。12単位取っていても、成績が悪くてその中のクラスの成績が2.0以下の場合は、パートタイムだったという事になってしまいま
す。パートタイムが3クオーター以上続いてしまうと、場合によってはイミグレーションにReinstatementをしなければなりません。これは、何が
原因でフルタイムでクラスを取らなかったか(病気になったとか、何かとても辛い事があって勉強に集中できなかったなど)そして、どうしてアメリカで勉強を
続けたいかなどを詳しくかいた手紙をイミグレーション送ります。これに申し込む場合は、確か$100かかったと思います。この手続きは、学校の留学生オ
フィスのアドバイザーが手伝ってくれると思います。これで、イミグレーションからもう一度チャンスをもらえた場合は学校に留まる事ができますが、却下され
ると帰国しなければなりません。また、成績や学習態度次第で学校からキックアウトされてしまう生徒もいます。
お休み
こ
れはクォーター制の学校での話ですが、3クォーター連続でフルタイムで勉強した場合、4クォーター目はアメリカに滞在したままブレイクを取る事ができま
す。これは、カレッジレベルの生徒だけです。例えば、1クォーター学校で勉強をして次のクォーターはブレイクを取りたい場合、日本に帰れば2クォーター目
はブレイクを取る事ができます。アメリカに滞在したままブレイクを取りたい場合は、3クォーター連続で取った後でないととれません。しかし、これも成績次
第という事みたいです。きちんとフルタイムで3クォーター取っている場合はお休みできますが、3クォーター続けていても成績が悪いとお休みをもらえなかっ
たりもするようです。
アルバイト
学
生ビザでアメリカに滞在している人は、週に20時間まで学校内(自分の通
っている学校)でアルバイトができます。でも、学校に通いはじめて3学期以上経っている人で、何かの事情で学費を払えなくなってしまった人(親の会社が倒
産したり、お金を払ってくれている親が亡くなったなど)は、Economic
Hardshipというプログラムに申し込む事ができます。これが許可されると、学校外で働く事ができます。(フルタイムで勉強をして、パートタイムで外
で働けます。)また、アジアの中の五カ国(これに日本は入りません)は、Special Student
Reliefというプログラムがあって、この五カ国(韓国、タイ、インドネシアなど)の生徒達でこのプログラムが始まった時(確か97年か98年だったと
思います)に留学していた生徒は申し込む事ができます。これで労働許可がもらえると、学校外で働く事ができて、学校はパートタイムでもいいのです。これら
のプログラムに申し込むには、いつも自分、親からの手紙や銀行証明など、本当にお金がなくて働かないと自分の国に帰るしか選択がないという事を証明しなけ
ればなりません。このプログラムは、せっかく留学でアメリカに来た生徒で金銭的な問題を抱えている生徒達には、学校を卒業させてあげるチャンスを与えてあ
げようという事で始まったそうです。
ソーシャルセキュリティーナンバー(SSN)
働く時に、このソーシャルセキュリティーナンバーが必要になります。
SSNをもらうには、学校のインターナショナルアドバイザーに手紙を書いてもらって、それをソーシャルセキュリティーオフィスに持っていくと後からSSN
が送られてきます。その場で番号だけ先に教えてくれる時もあるみたいです。無料です。
出国
ア
メリカからカナダ、メキシコ、そして日本を含めた外国へ出国する場合、I-20の裏側に学校のインターナショナルオフィスのアドバイザーからのサインが必
要です。このサインによって、国境や税関の人にその生徒がフルタイムで合法で勉強していますという事が証明されるのです。このサインは、4、5ヶ月に一度
もらえばいいので、外国に行くたびにサインをもらわなくてもいいです。またI-20はとても大切な書類なので、いつもパスポートと一緒になくさないように
しましょう。もしなくしてしまったら、早めに学校のアドバイザーに言って、もう一度発行してもらいましょう。
卒業後
F1
ビザの生徒が学校で一定のプログラムやコースを終えて(九ヶ月以上のコース)証書をもらうと、オプショナルプラクティカルトレーニングビザに申し込む事が
できます。でも、学校で何か専門学科を勉強していないとこのビザはもらえません。私がオプショナルプラクティカルトレーニングビザをもらえたのは、スカ
ジットでお料理の勉強をしていたからで、スカジットでカレッジトランスファーのクラスを取っていたらこのビザはもらえませんでした。オプショナルプラク
ティカルトレーニングビザの他にも、カリキュラムプラクティカルトレーニングビザというものがあります。これは、自分の取っている専門学科のコースを終え
る為にインターンシップを取らないと卒業できないという生徒達に出るビザです。
また学校での勉強が終わったあと、プラクティカルビザが切れたあとは、60日以内にアメリカから出国しないと違法になってしまいます。
2009年1月28日|
カテゴリー:Studying in the US
byebyeキッチン
最初は後悔したけれども、最終的にはカリナリーアーツのコースを取って本当に良かったと思っている。泣いたり怒ったりした事もあったけれども、一日中一緒にすごしたクラスメイト達とは本当に仲良くなれたし、料理の知識もそうだけれども、このクラスで得た友達は一番の宝物だと思う。卒業した後にキッチンに遊びに行った時も、みんなが私の名前を呼んでくれて話し掛けてくれるのが嬉しかったし、一人、ハイスクールのクラスで教えた生徒の男の子もキッチンコートをきて、キッチンハットをかぶって"お料理が大好きだからシェフになりたい"といってお料理のクラスを取っているのがとっても嬉しかった。
学校のカフェテリアの横にあるキッチンにいつもいたので、同じクラスの人以外の人たちとも顔見知りになれた。クラスの登録に行けば、そこのおばさんが名前で呼んでくれたり、校長先生とも知り合いになれたり。また、同じクラスの人が週末朝御飯をたべにおいでって行ってくれてお邪魔したり、クラスメイトだったクリスタルとは今でも連絡を取り合っている。その時まだ4歳と5歳だったクリスタルの子供はもう9歳と10歳。でも、今でも私が教えた"こんにちは"は覚えているみたい。私の事はよく覚えてないみたいだけど。あの時お世話になった人たちには、本当に感謝している。またいつか会える日が来るといいけれど。どこかで会ったらギュッとハグをしてなつかしい思いで話に花が咲く事でしょう。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
ハイスクールのインンストラクターを辞める
月曜から木曜まで、前の学期と変わらず私はハイスクールクラスのアルバイトを続けていた。緊張も溶けて、ハイスクールのクラスで何を生徒達に作ってもらおうかと色々なレシピを探したり、時には生徒達にお寿司の作り方を教えたりもした。新しいハイスクールのクラスには、近所で発砲事件を起こして捕まった事がある生徒もはいって来ていて、小心者の私はかなりビビッていた。クラスには生徒が25人くらいいて、その半分は前学期と同じ生徒達だった。私としてはその2学期目の生徒達には新しい生徒達のお手本になってほしかったから、「新しい人達に教えてあげてね」なんて"ちょっとは信頼しているのよ"という所を見せてみた。が、私の期待はみごとにはずれ、新しい生徒達と一緒になって、食べ物をぬすんだり、キッチンから抜け出したりする生徒が続出した。残念な事に、その生徒達はすべてメキシカンの生徒達だった。今考えると、私とカーメンの気をひきたかったのかもしれない。カーメンが言うには、このメキシカンの生徒達のほとんどは、家族が苦労してアメリカに移民してきた子達ばかりだったから。。。
白人の生徒達の中には、つまみぐいなんてかわいい物では無くて、キッチンや学校の外で傷害事件を起こしたりするような生徒が何人か居て、これまた怖かったけれどもキッチンの中ではイヤイヤながらも言われた事をしっかりとやっていたから私は別に気にはかけていなかった。どうしても目につくのは、大きな声で歌を歌ったりしているメキシカンの数人。私は前の学期からの生徒で、新しい子と一緒に騒いでいる生徒を一人冷蔵庫の裏に呼んで「あなたには、新しい生徒のお手本になって欲しい」と言った。しかし、その生徒は知らん顔。同じメキシカンでもきちんとして、とっても協力的な生徒もたくさん居た。でも、ほんの数人がクラスの雰囲気をとても悪くしていた。私はカーメンに何度も名指しでどの生徒が影でなにをしているかを話した。でも、コスタリカ出身でスペイン語が話せるカーメンはどうしてもメキシカンの生徒の味方をする。そして、カーメンは「メキシカンの生徒は『ふみえは人種差別する』って言っている」と言ってきた。私はカーメンに「カーメンはどう思う?」と聞いたら「私もそう思う」という答えが返ってきた。私は信じられなかった。どうしてアメリカで日本人の私がメキシコ人を差別しなくてはならないのだ???私は笑ってしまった。
ある日、白人の生徒が「自分の友達が刺されて重体だから病院に行きたい」と言ってきた。しかし、この生徒はとても不真面目で何度もクラスを休んでいるからカーメンに「今日一度でもキッチンから外に出たら、あなたはクラスから出て行きなさい」と言われた。そのあとその生徒がキッチンから出て、外でキッチンに様子を見に来た友達と話しをしているのを見かけたからカーメンに報告したら、その生徒は「自分の友達が死んでもふみえはどうも思わないのか?」と言ってきた。私は「私には関係無い事だから、どうでも良い」と答えた。「あなたが普段からしっかりクラスに来ていたら、病院だってどこへだって行けたんじゃない?」といったらその生徒はキッチンへと戻って来た。こんな事の繰り返しで、結局この生徒は辞めさせられた。でも、毎日騒いで何もしないメキシカンの数人は相変わらず。でも、カーメンは怒らない。一人のメキシカンの女生徒は、決められているキッチンハットを絶対にかぶらない。かぶると格好が悪くなるからだそうだ。これが3日続いたらクラスから出ていくべきだと私はカーメンに言った。カーメンも賛成したにもかかわらず、一週間たってもその子はキッチンハットをかぶらない。私はカーメンには何を言ってもどうにもならないたとわかったから、クラス全体の責任者のクオモにカーメンと意見が合わないと話した。するとクオモからカーメンへ「カーメンはクラスで生徒が歌を歌っていたらまずいと思わないのか?」と聞いたら「思わない」、「生徒がキッチンハットをかぶらないと衛生上問題になる」と言っても「私には私のやり方があるので」としか言わない。このキッチンハットをかぶらない女生徒は、これが2学期目にもかかわらず、新しい男生徒二人と騒いでばかり。
ある日、クラスが早くおわったから教室でお料理のビデオを見る事になった。その時に、カフェテリアの残りのフレンチフライを生徒達は食べていた。私も同じ教室にいて、カーメンはどこかへ行っていなかった。するとキッチンハットをかぶらない生徒と歌を歌ってばかりの男子二人があるメキシカンの女生徒にフレンチフライを投げ始めた。私は「やめなさい」と言ってもやめない。フレンチフライを投げられたメキシカンの女生徒は、とても良い子で私のお気に入りの一人だったけれども、この悪い3人組みには「メキシカンなのに白人ぶっている」と言われていやがらせをされていた。結局騒ぎは終わらないままクラスは終わり、この3人組にはクラスに残ってもらってカーメンと私と5人で話す事になった。でも、このメキシカンの生徒の態度と来たら、私の想像を超えていた。そこで、私は一番してはならない行為をしてしまった。。。。といっても、殴ったりしたわけではなく大声で怒鳴ったのだった。今考えると、もっと冷静にどうしてなれなかったのかと思うけれども、私は自分で自分を抑える事ができなかったのだ。
次の日にクオモと話し合って「くやしいけれども辞めます」と言った。クオモも「それがいいみたいだね」と言った。"生徒と先生を両立するのは難しい"とベイキングの先生のダニーに言われ、私もそう思った。この時は、自分の勉強がおろそかになって、ハイスクールの事ばかりに振り回されていたような気がする。クオモとカーメンとは何度も何度も話し合って辞めると決めたのだけれども、本当に辞めるとなると心の中に何かモヤモヤとした物が残った。ハイクールの生徒達には、クオモから「ふみえは自分の勉強が忙しくなったから、辞めました」と伝えられたようだった。クラスの中の数人の生徒が「ふみえが辞めたら、カーメンがひいきしている子達が図に乗るから辞めないで!」と言ってくれたり、「またクラスに遊びに来てくれるよね?I miss you」なんて言ってくれる優しい男子生徒もいて、私はそれだけでも嬉しかった。同じクラスのクリスタルやテレサには、「時給5ドルなんだし、カーメンにこき使われるんだから早くやめちゃいなよ〜」とずっといわれていたので「辞めた」と彼女達に言った時には喜んでくれた。
ハイスクールのアルバイトを辞めた後は、放課後学校の近くのカントリークラブにキッチンコートを着たままダーツをしにいって、昼間からカクテルを空腹のまま飲んで酔ったまま45分かけて車で家にフラフラしながら帰った事も何度かあった。ハイスクールのクラスもたのしかったけれども、高校の頃は毎日のように友達と寄り道をして遊んでばかりいた私には、自分が高校の頃の生活が戻ってきたような気がして嬉しくもあった。
最後にこのハイスクールクラスは、私が辞めた2週間後になくなってしまった。私の変わりにハリーがアシスタントをしていたのだけれども、高校の方がクッキングクラスに使うお金がなくなったと言う事でなくなってしまったのだ。私が怒鳴った生徒だけれども、一度だけバンケットの時にハイスクールの生徒と一緒になる機会があって私はなんとなく居心地が悪いかなと思っていたのだけれども、なれなれしく「ふみえ!元気?」なんて一番最初に話しかけてきたのがあの二人組だった。なんかずっとケンカ別れしていた友達と仲直りできたようで気分が良かった。私がアシスタントだった時は「つまみぐいしちゃダメ!」ばかり言っていたのに、積極的に「これ食べる?」なんて食べ物をたくさん与えてしまった。でも、キッチンハットをかぶらなかった女生徒はずっと知らん顔。やっぱり女ってコワイと思った。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
最後の試験対策
朝は野菜や肉などを運んでくるトラックが朝の6時半頃に来るので、それに間に合うように学校へ行って注文した物が全部揃っているかを調べる。そのあとに、キッチンの中のそれぞれの場所に、注文された品物を揃えておいておく。これが終わったら、今度は足りない物を取りに来る生徒がちゃんと用紙に書き込んだ分だけ持って行くかをチェック。この間に冷凍庫、冷蔵庫の中、そして倉庫の中の掃除などをする。ベイキングの生徒が小麦粉が無いといえば、大きな小麦粉の袋をえっちらほっちらとかついでおおきなコンテナにぶちこむ。たまにつぶれてしまった近くのレストランからとてつもない数のバーベキューソースとか名前も聞いた事も無い物が運ばれてくるので、それもちゃんと並べる。週に一度、何がいくつあるかを計算して先生に報告。例えば、キドニービーンズの缶(大)が15コ、ラマビーンズが30パウンド、、、、、などなど。これをするだけで一日が終わってしまう。この他には、生徒が使うエプロンを洗濯屋に出す。あまり使いすぎると奇麗なものが無くなってしまうから、しょっちゅう変えさせないようにする。クラスが終わった後は、生徒全員がちゃんと掃除をしているかをチェックして、サボッて早く帰った人がいないか調べるなんて事もさせられた。
冷蔵庫、冷凍庫の中は勿論寒かった。これが夏だったら気もちよかったのだろうけど、真冬でたまに雪が降っている時なんかもあって、地獄だった。わたしとテレサは手袋とユニフォームの下にはセーター、ズボンの下にはももひきを履いていた。毎日こんなんで、包丁も使わないしキッチンへはたまにウロウロしに行くくらい。この他に、最後の学期には、先生達に採点してもらう最後の試験のような物があった。一人で4人分のフルコースのディナーを作るか、一つ大きなセンターピースを作って、その回りにそれを演出するようなこまごまとした物を作るか。そして、その料理についての10ページくらいのレポートも書く。私はこの最後の一品に何を作るかとても悩んだ。最初は日本の和菓子を作ろうかと思って、ラマビーンズ(白くて大きいマメ)で白あんを作って、あずきの変わりにブラックビーンズであんこを作った。これで"ねりきり"を作ろうかと思ったのだけれども冷蔵庫に"Don't Touch!"と私の名前を書いて貼ってあんこを置いておくと、みんなに「なにこれ〜〜〜!!!気持ち悪い!」と言われた。和菓子の本には、ねりきりを作るには白あんを使うと書いてあったので、挑戦してみたけれどどうしてもうまくいかない。やはり、本を見てその通りにとは行かなかった。そこでそれならウェディングケーキを作ろう!と決めて、キッチンの中にあるミニ図書館でケーキの本を探してきてキャロットケーキとクリームチーズフロスティングで作るウェディングケーキに決めた。これはマジパンで作ったちいさなバラの花がちりばめてあるケーキ。
これを作る日に丁度学校でバンケットがあるので、その時のデザートに出す事になった。まず、すごい数のにんじんの皮をむく所から始まって、マジパンをオレンジ、黄色に染め、ようじにいろんな大きさのバラの花を作ってかわかしていった。これはクリスタリに手伝ってもらって3日くらいかかった。このケーキを完成させる当日は、朝の7時から12時すぎまでずっとこのケーキにかかりっきり。こんなに大変だとは思わなかったけれども無事完成!とても嬉しかったけれども、すっごく疲れた。このケーキをカートにのせて、冷蔵庫へと運んで洗いものをしていたら、同じクラスのハリーというおじさんが「ふみえ、冷蔵庫につぶれてるケーキがあったけど、あれふみえのケーキ?」なんて言ってきた。私が「え〜!!」と驚いたら「ウソウソ〜」と言ってハグをしてくれた。このハリー、最初はとても苦手だったのだけれども、一度慣れてしまったらすごく優しいおじさんだった。一度、マジパンでバーニーという紫色の怪獣を作ってケーキの上に乗せたら(こんなものばかり作っていた私だった)このハリー、ちゃんと同じ紫色に目をつけたかたまりに足跡をくっつけて「ふみえ、バーニーふんずけちゃった」と言ってもってきた。私は「え〜!!どうして〜!!!」と言ったらもう片方の手にはちゃんと私のバーニが居た。この時もみんなで大笑い。このバーニー、次の日には何故かE.Tになっていたのだけれども。。。多分ハイスクールの生徒の仕業だと思う。。。
話しはそれたけれども、このケーキも作り終わって、いよいよキッチンともさようならする日が近づいていた。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
キッチンで泣いた
学校では、私たちのクラスを ACF(アメリカン カリナリー フェデレーション)から認定の学校にしてもらおうと言うので、連日DCやシカゴなどからインスペクターが来て、キッチンをうろうろし始めた。このインスペクターは、冷蔵庫の中にある物にちゃんとレーベルと日付がついているかとか、冷蔵庫の温度がちゃんと一定に保たれているか、そして学校のカリキュラムはちゃんとなっているか。などをチェックしに来る。キッチンの隅から隅までクラス全員で奇麗に掃除をして全部点検しなおしても、何かミスがあったら大変というので、先生達も生徒達もかなり緊張していた。2日間、キッチンの中はいつもピリピリ。特に、Sous Chefの人達は、自分のファイルを見せてと言われたり、「○○は何度に保っておかないと腐るか知っているか?」とか、「緊急用の○○シートがどこにあるかわかるか?」などと思ってもみない事を質問されるので、私はいつもキッチンの奥にかくれて目立たないようにしていた。
私は丁度そのインスペクションがある週は、ブレックファストの担当だった。カフェテリアの隅にある"スカジットカフェ"では、朝はブレックファスト。昼はランチを出していた。一年目、私がブレックファストの担当だった時は、ご飯としゃけのかす漬け、味噌汁を出したりもした。ランチでは、かつ丼と親子丼も作って「本当に売れるの〜?」なんて言われながらもすぐに完売したのだった。
狭いキッチンの奥ではブレックファストの生徒達がオーダーされた物を作っていく。狭いカウンターのもう半分では、ランチ担当の生徒達が準備をしていた。私はなるべく散らかさないようにと、整理整頓しながら料理していたのだけれども、ランチ担当のラインハルトという人がどうしても私の陣地に入ってきて散らかす。私が「ねえ、ちょっと。散らかさないでよ」と言っても「うん」と言いながらまた散らかす。そこへシェフ ドンが来て「ふみえ。そこ、ちゃんと奇麗に片付けないと」と言ってきたから「これは、私じゃなくてラインハルトだもの。彼には何度もかたすように言っているのに、片付けない」と言うと「それは、きっと言った事が通じなかったんじゃないか」と言ってきた。ここで私はプツンと切れて泣きだしてしまった。言葉が通じない。こんな事私にはわかっている。でも、このクラスに入って1年とちょっと。最初はみんな「は?」って首をかしげていたけれども、慣れればわかってくれるようになった。なのに、ここで「言葉の問題がある」なんて言われて平静を保っていられるわけがない。シクシク泣いていると、マーティーという50すぎの大きなお腹をしたおじさんが「ふみえ。ハニー(といつも人を呼ぶ)ドント クライ」と言ってホッペにチュッしてくれた。今考えるとキッチンで何をやっているのかと思うけれども。。。そのまま私はトイレに直行して顔を洗ってキッチンへ戻った。それからずっとシェフ ドンを一日無視した。シェフ ドンが「ふみえ」と呼んでも無視。クラスが終わって私はハイスクールクラスの準備をしていた。クラスが始まって少したった頃にシェフ ドンに呼ばれた。カーメンに「行ってらっしゃい」と言われて素直にシェフ ドンと話しに行った。
シェフ ドンには、「言葉の問題があるのはわかっています。でも、それをズバリ人から言われるのはツライ」と言った。するとシェフ ドンは「そんなつもりで言ったんじゃないんだ。ラインハルトは、自分の世界に入ると他の人の言っている事が聞こえないってんで、ラインハルトに問題があるっていう意味だったんだ。ふみえは、僕が驚く程良くやっているし、自分だったら出来ないよ」なんて言ってきた。本当かな?うまく言い訳してるんじゃないかな?なんて思った。しかし、実際にラインハルトには、ちょっと問題があって、軍隊からキックアウトされたらしいし、すごく年上の奥さんと結婚して、そのあと奥さんがラインハルトに暴力をふるって刑務所に入れられたという話も聞いた。シェフ ドンは私の手を握って、「ふみえをこんな気持ちにさせてしまって、ごめんね」と言ってきた。
次の日クラスでラインハルトに会うと「ふみえ、昨日はごめんね」と言ってきた。このいざこざはこれで丸く納まり、ACFからも認定される事になってみんな大喜びだった。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
インストラクターになる。
クオモに「やってみる」と言うと喜んでくれた。早速その日から残って授業。インストラクターは、前学期までアシスタントだったカーメン。コスタリカの人で、スペイン語も話す。とても良い人で仲良くしていたので、これは安心だった。生徒達は、全部で約25人。メキシコ人が多く、みんなスペイン語と英語を話す。白人の生徒は10人くらいだった。このメキシコ人の生徒の中には、ギャングのメンバーも居ると聞いて、かなりビビッた。ほとんどが男子生徒だったのだけれども、みんな背が高くヒゲを生やしている生徒も多い。日本の高校生でヒゲ生やして学生服なんて見た事ない。女生徒達も、化粧バッチリでやたらきれい。
最初、ちょっと怖くて始めの一週間はとっても優しくしていたのだけれども、ある日生徒に「へー。何にでもニコニコするんだね」と言われてから私は変わってしまった。それからは、かなりイヤーなコワイ姉ちゃんに変身したのだった。つまみ食いをする生徒には、怒鳴りつけ、歌を歌出だす生徒達には「歌やめる?それともクラスやめる?」なんて言っていた。ちゃんと普通に良い生徒も半分くらい居たので、大抵はその子達に教えていた。クラスでは、ベーキングとフードプレップにわかれて、次の日にカフェテリアで出すクッキーやパン、シナモンロールなんかを焼いたり、サラダバーの掃除、準備などもした。バンケットがある時には、その準備。ウェイトレス、ウェイターにする生徒達には、そのやり方を教えたりなどもした。レシピも自分で考えて、サラダやクッキーやコーヒーケーキなどを作らせたり、日本のパンの本を持っていって、ゾウとか恐竜の形をしたパンを作らせたりもした。
生徒達がちゃんとやる事をやってくれれば、私も怒らない。でも、髪形が気になる女生徒達は、ちゃんとキッチンハットをかぶらなかったり、爪を凶器になるくらい伸ばしていたりする。爪は短く切らないと、きたないから切りなさいと言っても切らない。カーメンに相談しても、同じスペイン語を話すからなのかどうしてもメキシコ人の生徒達には甘い。この事をクオモに相談したのだけれども、クオモからカーメンに「ちゃんと衛生上の規則は守らないとダメだ」と言ってもらっても、カーメンは「もう一度チャンスを上げたい」なんて言って怒らない。一部の悪い生徒達が、他の生徒達にいちゃもんつけたりして、キッチンの中でケンカも始まったりもした。一部の生徒達は「カーメンは、悪い子達にも甘すぎる。私、影でいじめられているんだから」なんて言って来る子も居た。
いろんなゴタゴタはあったけれども、どうにかこの学期は終わった。自分のクラスよりも、このハイスクールのクラスでかなり忙しかったような気がする。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
教える相手は銀行強盗をして休学してたorz
Sous Chefになると、朝一年生がフードセオリーの授業をしている時に、ミーティングがある。そして、一年目の生徒について、2週間交代でフードプレップ、レストラン、ベーキングなどを回ってインストラクターのお手伝いをするのだ。運が良いのか悪いのか。。。ナント、私は銀行強盗をした人につく事になったのだった。。。
彼女は、とーっても太っていた。朝7時からのミーティングの最中に、ピザをぱくついていたりする。そして、フードセオリーのクラスでは、授業中に座っていたイスの足がピューっと曲がってしまったらしい。同じ教室にいた生徒は、さすがに笑えなかったと言っていたが。。。彼女は、かなり前にこのお料理クラスを取っていたのだけれども、銀行強盗をして捕まって休学していたらしい。最初に銀行強盗と聞いた時は、おどろいた。ちょっとビビッたけれども、話してみたら普通の人。だった。最初は。しかし、ゴーイング マイウェイというか、「ねえ、○○の用意してある?」なんて聞くと、ぐだぐだと言い訳を並べるような人。そして、動作がノロい。見ていてちょっとイライラしたから「もう勝手にして」と言って、私は違う事をしていたような気がする。これじゃあSous Chefは失格。せっかちで短気な私には、向かない仕事だった。
銀行強盗も驚くけれども、一年目の同じクラスのおじさんは、誘拐で捕まっていた。誘拐と言うと聞こえは悪いけれども、ガールフレンドとの間に産まれた赤ん坊を、ガールフレンドとケンカをしたから盗んで逃げていたらしい。地元の新聞には、手錠をかけられた写真が一面に載っていたからビックリ。さすがアメリカ〜なんて感心してしまった。そういえば、ESLにいた時は、同じクラスにいたアメリカ人のおじさん「僕が刑務所に居た時は〜」なんて話をし初めて、驚いた事もあった。
誘拐で捕まったおじさんだけれども、さすがにもうクラスには来ないだろう、、、と思っていたら、ちゃんと戻って来た。私には、できないと思った。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
病院で縫合と注射
スカジットカウンティーホスピタルのエマージェンシールームに連れてかれた。そこには風邪で熱が出たという子供とそのおじいちゃんが座って待っているだけだった。そのあと待合室、病室合わせて1時間以上またされて、やっとドクターがやってきた。クオモは、一生懸命私の気をそらそうとして、自分が死にそうになった事故の話(全然、気はそれなかった。。。)などをしれくれた。私が「ここって、ドラマのERと同じエマージェンシールームなんだね」と言ったら「うん。でも大丈夫。ふみえは命にかかわるような怪我じゃないから」と言われた。そんな事わかってるよ。なんてツッコミをいれようか、なんて思いながら「そうだね」なんて言いながら、注射が怖くてドキドキしていた。
傷自体は浅いけど、長さが1インチ以上あったら縫うらしくて、やはり縫う事になった。麻酔の注射がすっごく痛かった。クオモは「僕の手を握ってな」なんて言ってくれたので、ローストビーフ臭い手でしっかりとクオモの手を握っていた。注射が終わればもうこっちの物。さすがに傷口を見る事はできなかったけど、4針ぬった。「あー。終わった。どうもありがとう」と清々しい気持ちでクオモに言ったら「ふみえ、明日注射打たないとダメだから。保険所に連れてってあげるからね」と言われた。「え?何の注射?」と聞くと「破傷風予防の注射。過去に打った事なかったら、打たないとダメだから」きゃ。。。もう注射はイヤなのに。。学校の駐車場でクラスメイトに会ったから「手きっちゃって、明日注射打つんだって。どんなのか知ってる?」って聞いたら、「うん。オシリにぶっといのを打たれるんだよ」と真剣な顔で言われて、怖くて倒れそうになった。その日の夜、日本の両親に電話をして「私、破傷風の注射打った事ある?」と聞いたら「うん。2歳の時に打ったよ」と言われて「やった〜!!じゃあ、打たなくていいんだ」とルンルンして次の日学校に行った。
次の朝、早速デビーに「ねえ、私破傷風の注射打った事あるんだって。よかった〜」と言ったら「それって、いつ?」と聞かれたので「2歳の時」と言うと「ははは!ナイストラーイ。ふみえ。過去5年間に打ってなきゃダメなんだよ」と言われてしまった。。。オリシに注射なんて、、、絶対にイヤだ。その日クオモの姿を見てなかったから、このまま時間が来て帰れたらラッキー!って思いながらソワソワしていたら、クオモは「忘れるわけ無いじゃん」って言いながらやってきた。
保険所に着くと、カードをもらった。そこには自分が打った注射の記録を書き込んで大切に保管しておくらしい。クオモは「僕も一緒に行ってあげようか?」って言ってくれたけれどもオシリを見られちゃ困るし「一人で大丈夫」と言った。病室、、、というよりも、小さなオフィスで注射を打つのは、今事務をしてくれたおばさん。「シャツの袖をまくって」と言われてほんのちょっとチクッ。これで終わり。「これでおわりなの?」と聞くと「そうよ!お金は7ドルだけど、払えないって言ったら払わなくてもいいから。払えないって事にしておきましょう」と言われてそのオフィスからでた。オシリに打たれなくてよかった〜とホッとした。
「指を切ってから、一週間目くらいに抜糸をしに病院に連れていくからね」とクオモは言ってくれた。その時には、病院のツアーもしようね。なんて。しかし、クオモはだんだん忙しくなっていって「抜糸は自分でしても平気だよ」なんて言う。しょうがないから眉毛を切る小さなハサミで一人抜糸をした。
長い夏学期が終わった。。。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
アメリカのインターン
朝の8時頃から、午後1時すぎまで、デビーというキッチンで放課後ハイスクールのクッキングクラスを教えている人と一緒に、お昼ごはんを作り、レジもする仕事だった。これは、結構楽しかった。ドーナツとベーグルをレジの前にかわゆく並べて、サンドイッチも作る。パスタを茹でて、冷凍のミートソースをかけてーなんて事をする毎日。生徒は夏学期だけあって、いつもの半分くらい。なのにどういうわけか、同じ時間に生徒がズラ〜〜ッとレジに並んじゃうんだけど、それ以外は、なんかほのぼのと楽しく働いた。
デビーとは、いろんな話をした。。。そして、驚くことがあった。ある日、台湾からの留学生がたくさんカフェテリアに居た。デビーが「ふみえ、あの人達は日本人?」と聞いてきたから「あれは、台湾人の留学生だよ」って答えた。「じゃあ、ふみえあの人達と話せるんでしょ?いいわね」と言って来た。「え?私は日本人だから、話せないよ」と言ったら「え?中国も日本も同じ言葉を話すんでしょ?」と言われた。。。きゃあ!この人、これで先生なの〜?!なんてちょとビビッてしまった。「ちがう。ちがう。ちがうよ〜!!」って教えておいたけど、まだ覚えているかなあ。英語を話せれば、世界中どこへ行っても英語で通じるかもしれない。でも、他の国の事について、あまりにも知らなすぎるのは恥だと思う。この日から、私は「デビー、あれは中国人だよ」とか「あれは、日本人」とか得意気に教えるようになった。そのたびデビーは「ふみえ、どうしてわかるの〜?!」なんて驚いてくれたから、それが私をいい気にさせてしまった。。。
夏学期には、夏の間だけの日本からの留学生も来る。どこかの大学とか短大から来るらしいのだけど、1セント10コくれて1ドルの物を買おうとする人とかも居て、アメリカに来たばかりの頃の私を思い出させた。スーパーでお財布を見せて「とって」なんて言っていた時もあったし。間違えてお金をくれる生徒達に「あのー。これ1セントだから、10コじゃダメなんだけど。。。」なんて言うと「あ、日本人なの?」なんて言われたりして。まさか日本人がカフェテリアで働いていると思わなかったみたいだ。生徒達が私を日本人と知った日から「こんにちは〜!」「ホットドックとハンバーガーくださーい」なんて最初からモロに日本語でオーダーしてくる人達ばかりになった。デビーは「フライドポテトください」なんて注文にも「はい。フライドポテトね」なんてわかるようにもなった。(フライドポテトはアメリカじゃフレンチフライと言う)デビーは私と働く事によって、この夏に色々な事を私から習ったのだった。。。なんて、ちょっと偉そうだけど。
この夏には、最後にと〜っても痛い事が待っていたのだった。。。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
Sous Chefテスト
1日目は、筆記テスト以外はうまく行った。ナイフカッツとソース作りは平気だったのだけど。。 筆記テストの中には、私がしらない事がたくさん含まれていた。例えば"グラニースミスは、いつ頃とれるか?"グラニースミスとは、青リンゴの事なのだけれども、私はその時それが青リンゴだと知らなくて困った。あと、デイツというプルーンのような物の事も知らなくて答えられず。 ヤンキーポットローストは、どうやって作るか。この料理は、アメリカでは知られている料理らしいけど、ポットローストという名前なのに、ポットローストではないなんて全然知らなくて。。。そんな事ばかりで、結局落ちた。"やっぱり"という気持ちと"どうしよう。。。。もうダメだ。。。"という気持ちで思わず泣いてしまった。シェフ ドンも、クラスメイトも慰めて励ましてくれたけど、本当にどうしたらいいのかわからなかった。このままじゃ、日本に帰るしかない。なんて、ほんの短い時間でいろ〜んな事を考えた。シェフ ドンが「明日もう一度テストを受けなさい」と言ってくれた。
私ともう一人、この試験に落ちた人との二人で次の日の朝、試験を受けた。。。やった!前日の夜に、ルームメイトの真理に手伝ってもらって勉強した甲斐があった。合格してやっと"Sous Chef"だ。これからは、キッチンコートに白いネクタイじゃなくて、赤になる。そして、シェフ インストラクターのアシスタントとして、一年目の生徒達に教える立場になった。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
インコンプリート
そんなこんなで、すごく忙しかった新しいクラスでの最初の学期が終わった。ホッとしたのも束の間、成績が。。。。フードセオリー以外は、良かった。でも、フードセオリーがインコンプリート。これは、やり直しという意味。クラスをもう一度取りなさいというよりも、パスするには何かが欠けていますという感じである。確かに、フードセオリーで毎週あったクイズは全然わからず、点数がずっと悪かった。でも、シェフドンは何も言ってくれなかった。。。いきなりインコンプリートを取ってガッカリした。そして、また不安になって行った。。。
2学期になって、早速シェフ ドンに成績の事で話しに行った。そうしたら、放課後毎日、一緒にその日に習った事を復習してくれると言ってくれた。シェフ ドンは、自分でレストランも経営していた。毎日学校のあとは、そのレストランで働いていたらしい。。。どこからそんなエナジーがでてくるのが不思議だった。朝は、いつもスッキリしていて、つまらないジョークをたくさん言ってクラスをしらけさせていた。
だんだんとクラスにも慣れて来た。それでも、まだ同じクラスの中にしゃべった事が無い人もたくさんいた。なんとなく、避けられているいような気さえしていた。。。こちらから微笑みかける勇気も無かったし。私のクラスには、個性の強い人が多かったような気がする。気がすっごく強くてクラス内でケンカして、いきなり辞めちゃう人などもいたりした。そのケンカの内容っていうのが、誰が後片付けしないとか、誰が洗い物をしないなんて事だ。その時は、アメリカ人って子供っぽい!って思った。40すぎの人達が、くだらない事でケンカしてるよ〜って笑っていた。。。後になって、自分もケンカするとはその時は、思ってもいなかったからだ。
2学期目は、フードセオリーのクラスでも、レポートを書いたり、オーラルリポートをするのにも慣れて、テストもシェフ ドンのおかげでパスする事ができた。なんとも平和な学期だった。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
なぜかウェイトレス
私に取っての初めての実習は、カスタマーサービスだった。。。。どうして、英語もよくわからない私に、いきなりカスタマーサービスなの???と思った。英語が話せない私が、お客さんに何が食べたいかなんて聞ける訳ないし、「今日のスペシャルは〜」なんて説明もできるわけがない!でも、しょうがない。黒いスカートと白いシャツ、そして蝶ネクタイをしてウエイトレスになった。なんとかお客さんの注文を取って、料理を運ぶ。でも、いきなり予定外の事を言われるととても困る。キッチンから"あ、今日はスピニーチのサラダもあるから!"と言われても"スピニーチってなに?"(スピニーチとは、ほうれん草の事。)"え〜っと。。何でもいいから、とりあえずそうお客さんに言って""はい"という感じ。料理を習っていながら、野菜の名前も英語で言えなかったのだ。というより、知らなかったのだ。ほうれん草ってなに?って言われても聞かれた方はこまっちゃうのは、よくわかる。学校が始まって1ヵ月ちょっと。この頃から、だんだん人と話せるようになったかな?という感じだった。
つらいウェイトレス生活も2週間で終え、待ちに待った(?)キッチンでの実習。実習はまあまあうまく進んだ。料理はもともと好きだったから、なんとかなった。新しい技を習えるのがうれしかったし、また出来るようになったらもっとうれしかった。シェフインストラクターの"シェフ ドン"の手さばきを見るだけでもウットリ。ちょっといかついおじさんのシェフ ドンも、包丁を握ってサクサクと野菜をきれいに切る姿を見てしまえばもうウットリという感じである。オマケに優しくて、ユーモアがある。そんなシェフ ドンに何人かのファンがクラスには居たみたい。。。これが、後に大問題になったのだが。。。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
誰とも話せない。
クラスの雰囲気は、とても明るくてひょうきんな人が多く、また、やたらハグをする人がたくさんいた。何かと言うと、誰かをからかってジョークを言うようなおじさん、おばさんもたくさんいた。。。のだけれども、私はみんなが笑っている時にも"え?"って感じで、わけがわからない。一人、私と同じ時期に入ったフィリピン人の女性がいて、この人は日本に住んでいた事もあるという事でよく話しかけてくれた。でも、この人はフィリピン人独特のフレンドリーさを発揮して、アメリカ人とも溶け込んでいた。私はすごくアセッた。今さらクラスを変える事はできないし、頼る日本人も居ない。毎朝5時すぎに起きて学校へ行って、教室のイスに座り理解できない話を聞いていた。キッチンでも、まわりをキョロキョロ見てどうにかその場をしのぐ、そんな毎日だった。
学校から帰ってきたら、ルームメイトの真理に一気に色々と話していたような気がする。学校で話せない分、家でそのストレスを発散していた。真理が居なかったら、ノイローゼになっていたかもしれない。
学校では、いろんな種類の肉類を何度まで調理しないといけないか、料理をしたら何度以上、何度以下に保たないと腐るか、などなどつまらないけれどもとても大切な事を習っていた。もちろん私には、理解できず、クラスが始まってすぐに受けさせられたテストには落ちた。どんどんアセるし、話す相手もいない。私とおなじ新入生が何人かやめていった。私もできる事なら、やめたかった。
前にも書いたけれども、私はこのクラスについてあまりよく知らなかった。こんなに料理の時間が多いとは知らなかったし(ホテルマネージメントのクラスももっとあると思っていた)、クラスが始まってキッチンコート、ナイフも何種類か買ったりしなければならないなんてしらなかったし、2年生になる為には"Sous Chef test"というのがあるなんて知らなかった。スーシェフというのは、アシスタントシェフという意味で、レストランにはシェフ(一番偉い)の次にアシスタントシェフである"スーシェフ"が居る。このクラスでのスーシェフの役割は、シェフインストラクターのアシスタントをする事。1年目の生徒に、シェフインストラクターと一緒に色々教えたりするらしい。英語もよくわからないこの私が、アメリカ人に物を教えるなんてできるわけがない!と思っていたし、このスーシェフテストはACFというアメリカンカリナリー フェデレーションという所のテスト50問と、ナイフカッツ、みじんぎりから角切り、鶏をおろすもの、マザーソースと呼ばれる基本になるソースを5つ作る事。そして、ブラックボックス。その日に出された材料でサラダ、メインディッシュ、デザートを4時間以内に作るという物などを2日間にわたってテストされる。これを知った時には、もう遅かった。どうして何も調べないでこんなクラスとっちゃったんだ〜〜とすごい後悔。"もう、1年目終わったら、日本に帰ろうかな〜"なんて言っていた。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
新しい生活と新しいクラス
このアパートでの生活は、私にとってうまれて初めての自由な生活だった。誰に遠慮するわけでもなく、好きな事ができる。でも、食事、掃除、洗濯は自分でやらないといけない。電気代や電話代は真理がいつも計算してくれていた。真理との生活はとても楽しかった。友達の誕生日にはみんなを呼んで誕生パーティーをやったり、前にホームスティしていた所と違って、学校の近くという事で、同じクラスの友達もみんな近くに住んでいたから、行ったり来たりが多くなって楽しかった。真理と私は、夜な夜な車に乗って近くのスーパーを意味もなくブラブラしたりするのが好きだった。宿題の合間に"ちょっと行こうか〜"なんて言いながらよく出かけた。夏は広いベランダにイスを出して、二人であーでもないこーでもないとおしゃべりをした。私が真理の髪の毛を切った事もあったし、真理が私の髪にパーマ液をつけて櫛でとかして"ストレートパーマ"らしきものをしてくれたりもした。真理も私もどちらかと言うと、男っぽい性格だったから、言いたい事はハッキリお互いに言っていたと思う。真理が食事を作る係で、私が皿洗いをする。こんな生活が始まった。
それと同じ頃から、私が選んだクラスの授業が始まった。私が通った短大は、日本の短大とちょっと違うシステムで、公立の短大なんだけれどもその中の授業には日本で言う専門学校のようなクラスも入っていた。ほとんどの留学生は、四年制大学に編入する為のクラスを取る。でも、私は留学した時にもう22歳だったから、何か手に職を付けようという理由と、私もみんなと同じ四大編入のクラスを取ったら、"○○ちゃんが、そのクラス取るなら、私もそうする〜"なんて言って、いっつも人に頼るようになってしまうと思ったから、ここで思いきってみんなと違う専門のクラスを取る事にした。私の目についたのは、"カリナリーアーツ & ホスピタリティーマネージメント"のクラス。カリナリーアーツというのはお料理で、ホスピタリティーマネージメントは、ホテルやレストランのマネージメントを習うクラス。このクラスを取る事に決めた。でも、この時点で、私はあまりこのクラスの事を良く知らなかった。将来ホテルで働きたいとその頃は思っていたから、"ホテルマネージメントが勉強できるならこのクラスでいいや"なんて軽く考えていた。
そのクラスが始まる初日。授業は朝の7時からだった。教室の中には、キッチンコートを着た35人くらいの生徒が居た。私はすごい緊張していた。アメリカ人ばかりの教室に入って行くのは、これが初めて。前に取ったクラスで一緒だった人が2人居て、その人達が私に話しかけてくれて、"隣においで"と言ってくれて少しホッとしたのだけれども、これからの事を考えてただ、ドキドキしていた。
シェフ インストラクターが教室に二人入ってきて、一人一人自己紹介をさせられた。"間違えたらどうしよう。。。""笑われるかも。。。"なんて緊張しながら、少しだけ話した。なんとなくみんな理解してくれたみたいだ。
このクラスは、朝7時から午後2時まで毎日キッチンでの授業とフード セオリーという野菜の種類、仲間、肉の種類、ソースの種類、パンはどうして発酵するのか、、、、などなどなどなど数えきれない位の事を習う講義もある。午後2時でキッチンでの授業が終わったあとに、バンケットマネージメントのクラスが週に1回あった。このクラスは、おじぎの仕方から、テーブルマナー、テーブルセットの仕方、マネージメントの仕方などを習った。そして、この授業の他に、学校でよく行われる地域や学校関係のバンケットに1学期間で20時間ボランティアしなければならなかった。毎日朝早いしクタクタだったけれども、今考えてみるととても充実していた。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
ホームステイから出る
アメリカに来て、4ヵ月くらいの頃、私はホームスティから出ようと決めた。学校まで車で30分位かかるというのと冬になって雪が降ったら学校に行かれなくなるというのも理由だったけれども、私がホームスティしている間、私のホストファミリーは私から1円も取らなくて、それがちょっと窮屈になってしまったのだ。お父さんもお母さんも"ふみえは一生懸命お金をためてアメリカに来たんだから、無駄使いしないでいいから"と言って、私から一切お金を取らなかった。共働きなので、学校から帰っても私一人。その私の為に、ランチもちゃんと買っておいてくれる。もちろん朝食も夕食も。タダだからと言って、私に芝刈りをしろと言うわけでもなく、お皿を拭くくらい。洗濯もしてくれた。私が夜出かける時には、仕事から帰ってからすぐにシャワーに入る大工さんのお父さんも、そのまま早めの夕食を私と食べてくれた。でも、一つだけ私がイヤだった事があった。それは、お母さんが週末になると酔っ払う事だった。金曜の夜になると私は憂鬱になる。ウィスキーを飲み始めて、突然おしゃべりになる。普段は結構もの静かで読書が大好きなお母さんがカートに向かって"ドレミの歌"などを振り付きで歌ったりするのだった。ジョアンナは、すごいウケていたけれども、私はササーーーッと引いていくものがあった。また、そういう酔っている時に限って私にた〜くさんお話してくれる。お父さんとのなれ染めや、その他モロモロ。そういう時でないと、うまく自分を表現できないのかもしれなかったけれども、それだけがちょっとイヤだった。ちょうど同じ頃、クラスにいた日本人の女の子の真理が"ホストファミリーがちょっと。。。"なんて話していて、二人で一緒に住もうか?なんて話しになった。でも、ここまで良くしてくれた私のホストファミリーに、家を出ると言うのは、本当に辛かった。家を出る時は"ちょくちょく遊びに来るから。。"と言って泣いてしまった私だった。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
ジョアンナが抱えていたこと
もう、今までのようにジョアンナのクラスに合わせて朝の7時に学校に行かなくても良くなったし、ジョアンナも私のクラスが終わるのを待たなくても良くなった。
でも、車の中でのジョアンナとの会話が無くなって少し淋しくなった。
ジョアンナは毎日夜、息子のカートをうちに預けてミーティングに出かけていた。
私はそれが何のミーティングかわからなくて、お母さんに聞いたのだけど、"ジョアンナに聞いてごらん"とだけ言われた。
ジョアンナに聞いてみると、今まで恥ずかしくて言えなかったけど、実はアルコール中毒と薬物中毒だったと言うのだ。
それも、彼女が11歳の頃から薬物もアルコールもしていたらしい。
私は信じられなかった。
アルコール中毒と薬物中毒。
どちらか一つじゃなくて、両方。
ジョアンナがベロベロに酔った所を見た事がある訳でもないし、腕に注射針の跡があるわけでもない。
なのにどうして?
私は信じられなかった。
そのアル中とドラック中毒の人が通うミーティングを"AAミーティング"と言う。
ジョアンナはそれに毎日通っていると教えてくれた。アメリカにはこれに通っている人がすごく多い。
ジョアンナは、いつもミーティングに行く所に半年間住み込むか、一年間毎晩ミーティングに通わないといけなかったらしい。このミーティングでは、いかにして中毒から逃げ出す事ができるか。
経験した人の体験談を聞いたり、みんなではげまし合ったりするらしい。
それでも、なかなかその中毒から抜け出す事は簡単ではない。
ジョアンナがそのAAミーティングに通っていると聞いてからよく、どうして中毒になってしまったかとか、どんな辛い事があって中毒になってしまったかなど色々話した。
ジョアンナは、私が16歳でホームスティに来た時には妊娠していて結婚もする予定だった。
結婚して子供も生まれて、それから、楽しい生活が始まる予定だったのだけれども、生まれた子供は生後1ヵ月もたたないうちに突然死で亡くなってしまった。
ベビーベッドで寝ていると思ったら亡くなっていたらしい。
そのあと、結婚した相手ともうまく行かなくなって離婚してしまった。
そのあと一人オレゴンに行って学校に行くなんて言っていたのだけれども、やはり薬物からは逃れる事は出来ず、薬物ディーラーと付き合っていて出来たのがカートだった。
カートを産むのは怖かったらしい。また死んでしまったらどうしようなんて考えたらしい。しかも、シングルマザーになってしまうのだ。妊娠してまたお母さんの元へ戻ってきてカートを産んだ。
今でも、カートがちょっとでも静かになるとドキッとするらしい。
健康な子供を産む為にも、ちゃんと一人でその子供を育てる為にも、もうアルコールも薬物もやめようと決心してミーティングに通っていたらしい。
でも、ちょこちょこと誘惑に負けてはやっていたみたいだ。
私が学校に連れて行ってもらえなかったのも、きっと二日酔いとかだったんだと思う。
ジョアンナと、そんな人生についてみたいな話を良くした。そんな話を英語で話せるようになったのも、理解できるようになったのもうれしかったけれども、ジョアンナがあれこれ話してくれる事で彼女との距離も縮まったように感じてそれが一番うれしかった。
2009年1月22日|
カテゴリー:体験記
アメリカの警察に捕まる
ごめんなさい"と言ったら"ごめんとかそういう問題じゃなくて、誰か人をひいちゃったら、どうするつもりなの!?"とすっごい怒られた。。そして、"早く、アメリカの免許を取りなさい!"と言われた。
これを日本の両親に話したら、二人とも喜んでいた。
そうやって、親身になって心配してくれるなんて、安心したと。
私は、本当に怖かったのだけれども。。。ジョアンナは、次の日に"ふみ、昨日自分で車運転して学校行ったんだって〜?お母さんに、おこられたでしょお〜"と笑っていた。。
6月吉日。無事に仮免を獲得。これで、保険にはいれた。待ちに待った日がやっと来た。今日から自分の車で学校に行ける!!!朝、わくわくしながら車にキーを入れてエンジンをかけようとしたが、かからない。。。ガガガガガ〜。。。"どうしてこうなるの〜〜〜〜〜!!!"エンジンがかからなかった。たまたまその日仕事が休みだったお母さんが"どうしたの?"と出てきた。そして、"私の車で行きなさい"とお母さんの車を貸してくれた。お母さんの車は、バカでかい車で、運転するのが怖かったけれどもどうにか学校までたどり着いた。
ESLで同じクラスの男の子が、車を直せると言うので、その子に家まで来てもらって、私の車を直してもらった。エンジンもかかるようになったし、試しにドライブでもしてみようと言って、そこ男の子の後をついて、学校近くまで走った。途中にある橋の上で、その男の子が私の車の横に来て"ガスいれないといけないから、途中で止まるよ"と言ってきた。私は"おっけ〜"なんて言いながら走り続けたのだが。。。その直後に、私の隣にまた車が並んで来た。私が横を見ると、それはパトカーだった。止まれと言われた。。。
おまわりさんが言うには、私たちの車がくっついて走りすぎたと言うことと、男の子の方のスピードがちょっと早かったのがいけなかったらしい。私は免許を見せろと言われて、仮免の免許を見せた。すると"キミ、これじゃ、一人で運転できないよ。家の人を呼びなさい"と言われた。
私は、まだアメリカに来て3ヵ月くらいのつたない英語で"日本の免許でも最初の6ヵ月は運転できるって言われたから平気なんです"と言った。
でも、おまわりさんは"そんなの、聞いたことないよ"と言って"とにかく、家に電話して"と言われた。でも私は"絶対にこの日本免許で運転できるから。調べて下さい"と言った。
その頃には、ほかのパトカーも3台くらい来て、中には犬を積んでるパトカーまで来て通りがかる車のなかから人がジロジロと見ていた。おまわりさんは"じゃあ、これから調べるから、ちょっと時間かかるけど待ってて"と言って、いなくなった。その間に、いじわるそうな年取ったおまわりさんが来て"あの男の子とは、一緒に住んでいるのか?"とか全く関係無い質問をしてきたりした。イヤなやつ〜。
しばらくして、おまわりさんが戻ってきた。何か"いやいや〜。まいったまいった。ポリポリ"って感じで、ニコニコしているじゃないか。
"自分達は、こんな法律があるって知らなかったよ。これ、一応チケットだけどチャージされないから。おみやげにしなさい"なんて言って"脅かしてわるかったねえ"なんて私の肩をポンポンとたたいた。
私はホ〜〜〜ッとした。そこに、またおまわりさんが戻ってきた。"ね、キミ。ここいらへんに、ガソリンスタンドある?"なんて言っている。そんなの、自分の方がよく知ってるクセに〜〜〜。ごまかそうとするな!と心の中でツッコミを入れてあげた。
2009年1月22日|
カテゴリー:体験記
車の免許はあるけど保険が
車を買うにあたって、アメリカで車の免許を取る事にした。ジョアンナが協力してくれて、運転の練習をしたんだけれども、彼女の車はシフト。私はオートマしか運転できないから、ガックンガックン言って後ろに乗っているアンドリューはビックリした顔をしていた。あと、ワイパーとウィンカーの位置が逆だから、ウィンカーを出そうとして、ワイパーがでちゃったりもした。ホストマザーとファーザーも仕事から帰ってきては、私に車の運転を教えてくれた。
ワシントン州では、7ドル払って3回まで筆記試験がうけられる。これが日本で言う仮免のような感じで、この仮免で免許と取って3年以上の人が横に乗っていれば車を運転する事ができる。そして、この仮免を取った所で、車の保険にも入れる。私は早く免許を取って、自分の車で学校に行きたいと思いながら2回筆記におちて、チャンスはあと一回になってしまった。
ある日、ジョアンナは、また私を迎えに来てくれなかった。その頃ホストブラザーのトムが、大学の夏休みで家に帰ってきていたから、ジョアンナが迎えにこない時はクリスを起こして学校まで連れて行ってもらっていた。クリスは、夜遅くまで近くのレストランでアルバイトをしていたから、朝早く起こすのはかわいそうだと思ったんだけれども、しょうがなく起こして学校まで送ってもらった。そんな日が3日くらい続いたある日、トムが"僕は今日、アルバイトがあって迎えに来られないから、僕の友達が迎えにくるから"と言った。もう"ごめんなさい〜〜〜"という感じだった。トムの友達は、ちゃんと私を迎えに来てくれた。
ジョアンナは、私をクリスが送り迎えしているという事を聞いて、ますますなまけものになっていった。私は、毎朝クリスを起こすのがかわいそうでイヤになっていた。そこで、"私は日本の免許があるから車を運転できるし、車もあるから自分で学校に行こう"と思い、車をはしらせて学校に着いた。学校で同じクラスの子に"今日、自分の車で来たんだ"と言うと"のりこちゃん、保険入ってるの?"と聞かれて真っ青になった。。。保険がない。。。
帰りは、事故を起こさないように(あたりまえだけど)ゆっくりと運転して帰った。家に着くと、いつもはまだ仕事から帰ってないはずのホストマザーの車があった。。。怒られたらどうしよう。。
2009年1月22日|
カテゴリー:体験記
ジョアンナの異変
そんな時に問題が起こった。ジョアンナが時々、朝迎えに来てくれなくなったのだ。ジョアンナが、"今日寝坊しちゃったから、遅れていくから"なんて電話が来て遅刻した事もあったけれども、そのうち電話もなにも無く、約束の時間になっても迎えにこない事もあった。私がジョアンナに電話しても、出ない。ナント、電話のコードを引っこ抜いて寝ていたらしい。私は頭に来て、ホストマザーの会社に電話すると、"あら、ジョアンナどうしたのかしら。病気なのかも"なんて言っている。私は"学校にいかないといけないんだけれど、どうしたらいいの?"なんて言っても、どうにもならなかった。
ある日、またジョアンナが約束の時間になっても来ないから電話した。ジョアンナが電話に出て"ごめん。寝坊しちゃったから、今から迎えに行くから"と言ったまま全然こない。そこでまた電話したら、今度は電話に出ない。私は歩いて40分くらいかけて、ジョアンナのアパートまで行った。教科書など全部つめたバックパックを背負って。ジョアンナのアパートに着くと、知らない男の人がキッチンに居た。"ジョアンナは?"と聞くと"上で寝てる"というから、私はジョアンナのベッドルームまで行って"ジョアンナ、私学校に行かないといけないの"と言ったら"私、病気なの!"と怒鳴られた。私は"あなた、寝坊したから迎えに来るって言ったから、待っていたのよ!"と言ったら無視された。私は頭に来て、ドアをバタン!と閉めて、私がアナコーテスに来て知り合った市役所に勤めるキャシーの所へ泣きながら電話した。キャシーは、50代の女性で、私を自分の自分の娘のようにかわいがってくれている女性。キャシーは、"じゃあ、一緒にランチでも食べよう"と言っくれて、ランチタイムがとっくに終わっているにもかかわらず、私の愚痴を聞いてくれた。でも、キャシーは"そんなのよくある事よ"と言っていた。
キャシーに家まで送ってもらって、ホストマザーが帰るのを待っていた。ホストマザーが仕事から帰ってきて、私は泣きながらその日にあった事を話した。でも"ジョアンナ、どうしちゃったのかしら。。。アナコーテスから、あそこの学校に通っている人が他にも居るはずだから、探してみましょう"と言っただけで、その日は終わった。
2009年1月22日|
カテゴリー:体験記
留学生活開始
そして、車にのって1時間半ちょっと走って私がこれから住む家に着いた。アナコーテスは私にとって、第二の故郷。前世で私は、絶対にここに住んでいたと信じている。湖があって、山がある。そして、かわいい家が広い道路を囲むように建っている。本当に、アメリカの映画に出てくるような所なのだ。小さな街だからみんな顔見知りで、スーパーなどに行くと、知り合いを見つけては立ち話になる。そんなアナコーテスで私の留学生活が始まった。
今回、私のホストファミリーに新しい家族が増えていた。それは、ホストシスターのジョアンナの息子のアンドリュー1歳。ホッペがプクプクのとってもかわゆい男の子。ジョアンナは、シングルマザーで、私が住む事になったジョアンナの両親の家のすぐそばにある、シングルマザー用のアパートに住んでいた。ここは、国からシングルマザーという事でサポートしてもらっている人が住んでいる。
家賃はタダ。
私は、母子家庭ながらも一生懸命みんな働いて頑張っているんだろうなんて思っていたのだけれども、違った。
働いて少しでもお金を稼ぐと国からのサポートが減るから、一日中何もしないで、ただ子供と遊んだり、友達とあそんだりしている人達ばかりだった。
結婚すると、そのタダのアパートから出なくてはならないから、結婚をしないで、内緒で男の人と一緒に住んでいる人もいたりした。
ジョアンナはそんな中で、"将来は弁護士か、検事になりたい"と言って、学校に通っていた。そのジョアンナと私は、朝一緒に学校に行く事になった。ジョアンナが朝私を迎えに来てくれて、学校まで車で30分かけて通った。途中で、アンドリューを保育園に降ろして、帰りもまたそこに寄ってアンドリューを連れて帰る。こんな感じで毎日が過ぎていった。
学校で最初の学期に私が取っていたクラスはESLがほとんどで、その他にアメリカの文化を勉強するソーシャルサイエンスというクラスと、アメリカ人と一緒に取るアートのクラス。ESLは、クラスに10人くらいの生徒がいて、その内8人くらいが日本人。その日本人のなかで、いきなりこの学校に入ってきたのは私ともう一人だけで、後は他の学校の英語学校で勉強してきた人達だった。
その人達は、みんな英語がうまかった。私は、すっごくアセッた。
みんなアメリカ人と話すのにすごく慣れていて、スラスラと話している。
私は"これからどうなってしまうんだろう。。。"と不安になった。
2009年1月22日|
カテゴリー:体験記
私がアメリカ留学するまで3
でも、なぜか"これで大丈夫だ!"と思った。
早速、専門学校の先生、2人に推薦書を頼んで書いてもらい、成績証明書、高校の成績証明書をもらって、どうしてそこの学校に行きたいかというエッセイを書いて学校に送った。
わくわくしながら結果を待っていたのだけれども、連絡がな〜〜〜んにも来ないまま半年が過ぎた。さすがにこれはおかしいと思って、学校に手紙を書いたら
"あなたの書類を全部無くしてしまったので、もう一度全部送ってください"
という手紙が来た。信じられなかった。。その頃は、こういう事はアメリカではよくある事とは知らず、ちょっとアセッたが、ここは負けずに
"また同じ物を揃えるには、お金も時間もかかります。私には、そんな余裕はありません。絶対に見つけてください"
と手紙を書いた。それからすぐに
"見つかりました。ごめんなさい"という手紙が来てホッとした。
学校からの連絡を待つ間、パートのハウスキーパーは楽しいし、"私は本当にアメリカに行きたいのか?"と思うようになった。
私がパートしている頃は、専門学校で会った友達のほとんどはもう留学をしていた。
私は一人、お金をためる為に働いていたのだけれども、これは本当に留学したいからなのか、それとも特にやりたい事も無いし、就職もしていないからとりあえず留学なのか?とも思っていた。
スッキリしないまま毎日が過ぎて行き、また、学校からもなんの連絡もなかった。
そんなある日。ある会合に行った。
この会合で、私がとても尊敬しているある人の話を聞く事ができた。
小さい時から、いつかはこの人の通訳になりたいと思っていたのだった。その会合ではとても驚くことがあった。なんと、その人は私が行こうとしているシアトル郊外のちっちゃな街の市長からある賞状をもらったのだった。
私の頭はこんがららった。
どうして、あんなにちっちゃな街の人達が、この私が尊敬する人を知っているのだろう?
そして、私の目から、涙がボロボロと流れてきた。そして、やっぱり私は留学するんだ!と心に決めたのだった。
留学すると心に決めてからも、なかなか学校から連絡が来なかった。
私は、何度が学校に"3点TOEFLの点数が足りないけれども、どうしてもあなたの学校に行きたいのです。
一生懸命勉強します"という手紙を送った。そして、2003年の12月に、やっと入学許可が来たのだった。同封された手紙には、
"TOEFLの点数は足りないけれども、あなたがそこまで言うのなら信じましょう"
と書いてあった。
うれしかった。
でも、私の両親は複雑な顔をしていた。私も複雑だった。
それから、あっという間に毎日が過ぎ、2004年の3月に私はアメリカに来た。日本を発つ日、私は泣いてしまった。でも、それは日本から離れる淋しさの涙ではなくて、"やっと自分の夢が叶ったんだ"という感動の涙だったと思う。母も泣いていた。父もなんとなく赤い顔をしていた。
飛行機が離陸してからも、しばらく涙は止まらずタオルで顔をおさえていた。
2009年1月22日|
カテゴリー:体験記
私がアメリカ留学するまで2
一ヵ月間のホームスティから帰ってきて、私はホストファミリーに手紙を書いた。そして、毎日毎日返事が来ないかなーと待っていた。
私と同じようにアメリカに行った友達も、みんな手紙を書くとハリキッていたにもかかわらず、ほとんどの子がサンキューカードさえも送っていなかった。
一ヵ月間、ボランティアでいろんな所に連れてってくれたりお世話してくれたにもかかわらず、ありがとうの一言も言えないなんて、私には信じられなかった。
また、手紙を書いても、ホストファミリーから返事が来ない子もいた。
私の家族は、半としに一度くらい"ずっと手紙書かないでごめんね"という同じ書きだしで始まる手紙をくれた。クリスマスカードや誕生日プレゼントは必ず送ってくれた。そんなやりとりの中で、写真も交換したりもして"またこの家族に会いに行きたい!"と思い始めた。
そんな時に、私が通っていた学校の先輩の話を聞いた。
その先輩も私と同じように海外研修に参加して、高校を卒業したあと、またその家族の元に戻ってホストシスターと一緒に大学に通 っているという。
私は、それがうらやましくてうらやましくて、"私も、やっぱりアメリカ留学したい!"と思うようになった。
でも、私はいっつも消極的で"どうせ、ダメだろうなあ"なんて思っていた。
高校卒業後は、都内の英語専門学校に入った。
生徒が一学年2000人くらいいる学校で、圧倒的に女の子が多かった。英語の専門学校だけあって、私と同じように将来留学したいという夢を持っている友達にたくさん会えたし、留学の経験がある先生もたくさんいて、いろいろ相談にのってもらった。
ネイティブスピーカーの先生もたくさん居て、学校の中だけ外国のような雰囲気で楽しかった。
私がこの専門学校の1年生の時、友達と二人でホストファミリーの所へ遊びにいった。
そこで、私はホストファミリーにアメリカ留学したいという話しをした。その時、お母さんが(ホストファミリーの)"じゃあ、ここに住んで、ここからジョアンナと一緒に学校に通えばいいじゃない?"と言ってくれた!
その時は、きっと興奮して鼻の穴が大きくなっていたと思う。すっごくうれしかった。"私の夢が叶う〜〜〜!!"と思った。お母さんに車で30分くらいの所にあるコミュニティーカレッジに連れてってもらった。広々としていて、いかにもアメリカの学校という感じ!絶対にこの学校に来る!!と決めた。
しかし、よ〜く考え直してみたら、お金も無いし、TOEFLも受けなくちゃいけない。
学校に手紙を書いて、申し込み書ももらわなくちゃいけない。
やらなきゃいけない事はたくさんある。
アメリカ留学案内の本を買って色々調べて、学校に手紙を書いた。
留学の手続きをしてくれる会社もあるみたいだけれども、結構お金がかかるし、留学したら何でも自分でやらなくちゃいけないんだからと思って、全部一人でやってみた。
近所に英語ができるおばさんがいたから、そのおばさんに手紙を見てもらったりして、どうにか学校案内と申し込み書をもらった。学校案内を見れば見る程、早くアメリカ留学したい!と思うようになっていった。。。
専門学校卒業後は、都内にある帝国ホテルで2年間ハウスキーパーのアルバイトをした。知っているおばさんがそこで働いていたから紹介をしてもらったんだけれども、すっごくキツかった。
時給は良かったんだけれども、一日に2〜3人組で25部屋くらい掃除する。始めた頃は、疲れすぎてご飯も食べられなかったくらい。でも、慣れてしまえばこっちのモノ。ガンガン飛ばす私だったんだけれども、あるパートのおばさんはそれが気にいらなかったらしくて、いぢめられた。。。
ハウスキーパーのパートは、おばさんばかり。
派閥とかもあって、コワい。でも私はみんなの子供よりも若いという事で、結構かわいがってもらった。
いぢめられて泣いたのは、その一度だけだった。
社員の人達は、みんな私と同じくらいの年齢で、よく飲み会に誘ってもらったり、部屋を掃除するフリをしてカギをしめたまま休憩したり、すごく楽しかった。
ここで会った人達とは今でも連絡を取り合っているんだけれども、ここでの人間関係があまりにも良かった為に、このハウスキーパーをやめたくなくなって、留学するのがちょっと遅れたような気がする。。
しかし、いつまでもパートでハウスキーパーをしているわけにはいかない。どうにかしなくちゃと思って、2度TOEFLを受けたんだけれども、どうしても3点足りなかった。アメリカ留学をあきらめたくない、と本気で焦った。
2009年1月22日|
カテゴリー:体験記
私がアメリカ留学するまで1
その英語クラスは小学生だけの為のクラスだったので、小学校を卒業してからは特別 英語の勉強はしていなかった。でも、いつか"アメリカに留学したい"と思い始めていた。そして、将来は私が尊敬する人の通 訳になりたい!とも思うようになった。英語の成績は、すっごく悪かったのに、なぜか"留学"が頭から離れなかった。。。しかし、一人っ子の私に、留学するなんてできないだろうと思っていたし、勇気もないからそのうち忘れるだろうとも思っていた。
中学は、都内の女子校に行った。母が、高校受験は大変だろうからと言って、中学からエレベーター式に高校まで行ける所を探して、その学校に入った。その学校では、高校2年生の夏休みに、一ヵ月間の海外研修というものがあった。一ヵ月間、アメリカはワシントン州のシアトルという所で、アメリカ人家庭にホームステイするというものだった。シアトルなんて聞いた事もない所に一ヵ月もアメリカ人の家にホームスティなんて、あまり行きたいとは思わなかったけれど、まわりのみんなが申し込んだから、私も同じように積立貯金を始めた。それが、中学1年生の時。みんな、"まだ5年も先の事だし、イヤになったらやめればいいさ"と軽く考えていたんだけれども、時が経つのは本当に早く、高校に入ってから、海外研修に行く生徒の為の特別クラスが放課後始まった。アメリカ人の先生が学校に来て、"はじめまして"からハンバーガーの注文の仕方まで教えてくれたんだけれども、途中でやめていく友達もいたりして、私もどんどん不安になっていった。
辞める勇気もなければ理由もない。でも、こわくてこわくて"どうしようか〜〜"といつもクラスメイトと話していた。行かなかったら絶対に後悔すると思う。。でも、一家庭に一人。英語なんて、しゃべれないのにどうしたらいいの?なんて、話しているうちに、みんなのホストファミリーが決まって、家族の事が色々と書かれている紙をもらった。
私のホストファミリーで、お母さんは元スチュワーデス。今は、会計士の仕事をしている。お父さんのフレッドは大工さん。娘のジョアンナは、私よりも一つ年上で、息子のトニーは私と同じ歳。
アメリカに発つ直前にジョアンナから来た手紙には、"私の家族は、お母さんと、お母さんの友達、そして、私の弟と私"と書いてあった。"お母さんの友達"???意味がわからなかった。実は、この頃このお父さんとお母さんは、同棲(お母さんの連れ子付き。でも、ここはお母さんの家)していたのだった。私が日本へ帰ってすぐに結婚したみたい。それだけでも"アメリカっぽい〜〜〜〜"という感じだったのに、私のホストシスターのジョアンナは妊娠していて、もうすぐ結婚するって言っていた。最初はウソだと思ってたんだけれど、やっぱり本当だった。。信じられなかった。
そんな家族に暖かく迎えられて、本当の娘の様に扱ってもらった。英語ができない私に、一生懸命辞書を引きながら家族の事や、仕事の事など、色々と話してくれた。また、私が滞在したAnacortesという所は、シアトルから車で1時間半くらいの半島で、とてもきれいな所だった。広々としていて、空気が澄んでいて、海も山も見える。それだけでも"アメリカに居るんだな〜"と感じる事ができた。最初は不安だったものの、ホームスティの1ヵ月はあっという間にすぎて、最後は帰りたくなくて泣いた。一緒にアメリカに来た友達も、み〜んな泣いていた。あの時の事を思い出すと今でも涙がでてくるほどだ。みんな口々に"また、絶対に戻ってこようね!""来年また来る"なんて言っていて、私ももちろんまた戻って来たいと思っていたんだけれども、"きっとムリだな。。"とも思っていた。
ちょっと大げさかもしれないけれども、この16歳の夏のホームステイの出会いが私の人生を変えてしまったのである。。
2009年1月22日|
カテゴリー:体験記
Cinderella Cake
この彼女、足がとっても長くってケーキは3段必要でした。チョコレートケーキにしたのですが、フロスティングの量がぎりぎりで、少しケーキの生地が見えちゃってるけど気にしない気にしない!本当はカラフルなチマチョゴリにしたかったのですが、色合いにちょっと自信なかったので、シンプルな白で、衣装のように着物風でリボンを赤にしました。チョコレートケーキを3段焼いたところで、力尽きたという感じです。
このケーキ、作ったはいいけどどうやってラッシュアワーに小学校まで運べばいいのだ!?と一瞬不安になったのですが、ランドリーハンパー(丸型)にいれて運びました。運転中は、バービーの頭を右手で押さえながら走ったのです。ドキドキでしたが、無事小学校へ到着できました。
2009年1月22日|
カテゴリー:日記
石鹸づくり
母から本を送ってもらって、何度も何度も読んだ後石鹸を作りました。
初めて作ったのがオリーブ石鹸とマルセイユ石鹸。これがあまり固まらなくって型に入れた後 1週間くらいまってもまだやわらかいかんじ。
普通だとそこまで時間はかからないそう。
色々な石鹸作りサイトを見ていたら、この二つの石鹸は普通よりもやわらかい事が判明。
そうだったのか!
石鹸作りは始めたばかりなんだけれども、すごくはまりそう。
まだ自分で作った石鹸を使っていないから、早くつかいたーい。それで、"わあー、この石鹸はすごく良い!"と言える日が早く来てほしいなあ。
オリーブ石鹸、マルセイユ石鹸、レモンの香りの石鹸、卵黄入り石鹸、オートミール入り石鹸。
ヨーグルトのカップをモールドにした石鹸は、型から出すときに形がくずれてしまった。
左は、マーブル石鹸が作りたくて、パプリカを使ってマーブルに挑戦したんだけれどもちょっと失敗。
まだらになっちゃった。黄色いのは、にんじんをすりおろしてそれを絞った物を水の代わりに作って、ドライフラワー(メリーゴールド)を入れました。
この石鹸の材料の中に"ごま油"が入っているんだけれども、キッチンにあった匂いの結構きついのを使ったら、石鹸がごま油の匂いになっちゃった。
一応、スウィートオレンジのエッセンシャルオイルをいれたのに!
保温中の箱の中もごま油の匂いになってしまった。石鹸作りには、匂いのきつくないごま油を使った方が良かったみたい。料理には、あの香りは香ばしくていいのに。(12/4/02)
2009年1月22日|
カテゴリー:日記
リースづくり
Michael'sに行ったら私が好きな色のドライフラワーがたくさんあったので、作ってみようと思ってあれこれ選んだんだけれども、そのドライフラワーをくっつけるリースフレームっていうワイヤ--の固いのでできたのは全て売り切れ。
その他にも欲しかったプレゼントを入れる袋とかもいいのは全て売り切れだ!この時期にお店に行くと、必ず"ああ、来年はもっと早く買い物しよう"と思うのだけれども、いざその時期になると"まだまだクリスマスには前々早いぜ"と思って結局"ああー、全て売り切れー!!"状態になるのだ。
お店のおばさんにきいたら、いつ入るかわからないから電話してと言われた。
とりあえずドライフラワーだけ買って帰ってきたはいいけど、そのまま放っておける私ではない!
家にあったちょっとあやしいワイヤーでリース作り開始。
最初はうまくできなくってすべて取ってやり直し。途中でJoAnnにならあるかも、行ってみようかなと思い立ち上がったのだけれども、もう一度家にあるワイヤーでやってみる事にした。
いまいち納得行かない。来週にでもまたMichael'sにいってみて、リースフレームがあるかどうか探してみよう。(12/11/02)
2009年1月22日|
カテゴリー:日記
Party Time!
今回のディナーも去年につづいてチーズフォンデュー。材料を各自もちよって、私は今年もデザートの係りだったので、不二家のチョコレート生ケーキ(今でもあるのかな?)風のケーキを焼きました。3レイヤーのチョコレートクリームにくるみを少しいれて、板チョコをピーラーでけずった物をまわりにくっつけました。とってもおいしかったー!
2009年1月22日|
カテゴリー:日記
外灯のカバー
フロントポーチがある家なので、その天井に電球がひとつ淋しそうにくっついていて、その上に何か綺麗なカバーをしようと思いつつ、何もしないままでした。そこで、ビーズでカバーを作ってみよう!と思い週末のプロジェクトになりました。
家のドアの外についている外灯は今まで裸電球がひとつくっついてるだけでした。フロントポーチがある家なので、その天井に電球がひとつ淋しそうにくっついていて、その上に何か綺麗なカバーをしようと思いつつ、何もしないままでした。そこで、ビーズでカバーを作ってみよう!と思い週末のプロジェクトになりました。
まず、ワイヤーで輪をつくって、それに6本縦にひっかけるようにワイヤーをかけて、細いワイヤーにビーズをつなげて巻いていくというごく簡単な作業。家が水色なので青系にしてみました。途中でビーズがなくなって買いに行ったので二晩かかりました。
ライトが青く光って綺麗です。ハンドメイド風(というかハンドメイドだけど)な所も気に入ってます。
テレビを見ながらできるプロジェクト。平べったいビー玉(マーブル)を買ってきて、その裏に自分の好きな絵など、雑誌から切り抜いた物をのりで貼って(私はTacky Glueを使いました)その後に小さいマグネットを貼ってできあがり!
なかなかかわいい絵がみつからず、日本の雑誌に載っていたキューピーや、服、布やバッグの模様なども使いました。後は、SunDanceのカタログ、雑誌、Luckyなど。マーブルはたくさん入って一袋1ドル99.マグネットは丸いのが12個入ったものが1ドル50くらい。日ごろからかわいい模様の切抜きを集めておいたら、かわいいマグネットがたくさんできると思います。本当はもっと大きめのマーブルが欲しかったんだけれども、透明で大きいのは売ってなかったので小さいので作ってみました。
2009年1月22日|
カテゴリー:日記
赤ちゃんの写真付きおもちゃ
中に鈴をいくつかいれたので、音がなります。こういうの作り始めるととことん
凝ってしまう私、ポケットをつけて、いぬを作ってそれをポケットの中に
入れてみました。おもちゃは手触りの良い、フリース、タオル地などの
ふわふわ系を使ってます。そして、赤ちゃんの写真をプリントアウトして、
アイロンプリントにしてくっつけてみました。この週末がこの赤ちゃんの
お母さんのバースデーなので、ママになって初めての誕生日おめでとう!
って意味でこれをプレゼントしようと思います。
でも、この犬、ちょっと毛が気になるんです。
赤ちゃんって、口に何でもいれるから、ぼわぼわ
の犬じゃなくって、フリースで作り直そうかと考え中。
いぬは、最初はポケットのなかから出せないように
しようと思って、足をつけてなかったのですが、
足無しじゃかわいそうなので、足もつけて
ポケットの中からも出せるようにしました。
2009年1月22日|
カテゴリー:日記
バスタオルで作るマット、をつくる
麦が前に作ったピンクのふわふわクッションの骨を庭に持ってって遊ぶようになってしまって、ピンクの骨がかなり汚れちゃいました。なので、家にあったレザーっぽく見えるビニールの布で、外でも大丈夫な骨を作りました。 これが大活躍で、これを投げると取りにいって、私の所まで持ってきてくれたり、ジャンプして骨をキャッチなんて事もするようになりました。はじっこが結構固いので私の予想通り、最初は噛み噛みしてはじっこがちょっとほつれてます。これで特訓して、早くフリスビーなんかを走ってキャッチ!なんて事ができるようになったら面白いと思うんだけど、それはまだまだ先かなあ?
タオルで作るマット
Martha Stewart "Living"に載っていたバスタオルで作るマットを作ってみました。 麦のエサとお水のボールの下にひいてみようとおもって、最初はこれまた骨の形にしてみたんだけど、どうみてもダンベルだったので、ほどいて普通の楕円にしてみました。これ、作り始めて気がついたけどタオルを切ると、ぼろぼろとゴミがすごいことになっちゃう。しかも、みつあみしていくと、これまたタオルのフレークがすごいでてきて大変なことになった。 本当はもうちょっと大きくしようかと思ったけど、ボールが二つ乗る大きさでギブアップだったのだ。マーサの雑誌では、そんなぼろぼろほつれてるタオルの写真はでていなかった(当然か)。
2009年1月22日|
カテゴリー:日記
シアトルって住みやすいし安全だし綺麗なところ
シアトルでは、おいしくて新鮮なシーフードがたくさん手に入ります。"Pike Place Market"に行くと、新鮮なシーフードはもちろん、野菜、果物や手作り雑貨、Tシャツなども売っています。マーケットの床には、そのマーケットを作る為に募金した人達の名前が刻まれています。私が通 っていた学校の名前も刻まれていて、高校の時に学校の夏期研修で来た時にそれを見つけて写 真を撮った事もあります。。。このパイク プレイス マーケットは、トム・ハンクスとメグ・ライアンの映画"めぐり逢えたら"(Sleepless in Seattle)のなかにも出てきます。最近、この撮影に使われたトム・ハンクスの家を見つけて大喜びの私です。いつか、あんな所に住めたらいいなあ。。なんて思います。
ここで、シアトルの歴史について少し書きます。シアトルのダウンタウンは1889年に大火事になってほとんど焼けてしまいました。それまでシアトルは、娼婦の街として知られていたそうです。その火事が起こる前までは、道路が低すぎる為に雨が降るたびに街中みずびだしになったり、また満潮時には、下水が逆流したりする問題を抱えていました。ちいさな火事が大火事になってしまったのも水圧が低い為に消火栓が役に立たなかったから。そこで、この大火事のあと、すべての路を3メートル上げる事にしたのです。その結果、その当時にあったビルなどに入る時には、2階から入って、階段で1階におりるという風になっていたそうです。いまでは、この1階が地下となり、"アンダーグラウンド ツアー"というツアーまでできました。このツアーでは、シアトルの歴史に降れることもできて、どんどん有名になっていっているそうです。
今となっては、日本でも結構有名になったシアトル。私が住み始めた頃は、シアトルといっても"どこ?"とよく聞かれました。マリナーズのおかげで、日本人の観光客も来る程になって、ダウンタウンを歩いていると絶対日本人を見かけます。シアトルは、マリナーズだけでなく、湖と緑が美しい街です。ダウンタウンはそんなに広くありませんが快晴の日にはダウンタウンのビルの向こうにマウントレーニエが見えてとっても綺麗。少しだけシアトルについて書いてみたいと思います。
2009年1月22日|
カテゴリー:シアトル