byebyeキッチン
長かったようで短かったキッチンでのクラスが全て終わった。カリナリーアーツ(お料理)の2年間のコースを終了するには、料理とマネージメントのクラスの他にも、英語や数学などのクラスも取らないと卒業できないけれども、2年と2学期でキッチンでのクラスは終わり。 文句を言いながらも毎朝早く起きて通ったクラスやいつもふざけてばかりいたクラスメイト達とお別れするのはとても淋しかった。
最初は後悔したけれども、最終的にはカリナリーアーツのコースを取って本当に良かったと思っている。泣いたり怒ったりした事もあったけれども、一日中一緒にすごしたクラスメイト達とは本当に仲良くなれたし、料理の知識もそうだけれども、このクラスで得た友達は一番の宝物だと思う。卒業した後にキッチンに遊びに行った時も、みんなが私の名前を呼んでくれて話し掛けてくれるのが嬉しかったし、一人、ハイスクールのクラスで教えた生徒の男の子もキッチンコートをきて、キッチンハットをかぶって"お料理が大好きだからシェフになりたい"といってお料理のクラスを取っているのがとっても嬉しかった。
学校のカフェテリアの横にあるキッチンにいつもいたので、同じクラスの人以外の人たちとも顔見知りになれた。クラスの登録に行けば、そこのおばさんが名前で呼んでくれたり、校長先生とも知り合いになれたり。また、同じクラスの人が週末朝御飯をたべにおいでって行ってくれてお邪魔したり、クラスメイトだったクリスタルとは今でも連絡を取り合っている。その時まだ4歳と5歳だったクリスタルの子供はもう9歳と10歳。でも、今でも私が教えた"こんにちは"は覚えているみたい。私の事はよく覚えてないみたいだけど。あの時お世話になった人たちには、本当に感謝している。またいつか会える日が来るといいけれど。どこかで会ったらギュッとハグをしてなつかしい思いで話に花が咲く事でしょう。
最初は後悔したけれども、最終的にはカリナリーアーツのコースを取って本当に良かったと思っている。泣いたり怒ったりした事もあったけれども、一日中一緒にすごしたクラスメイト達とは本当に仲良くなれたし、料理の知識もそうだけれども、このクラスで得た友達は一番の宝物だと思う。卒業した後にキッチンに遊びに行った時も、みんなが私の名前を呼んでくれて話し掛けてくれるのが嬉しかったし、一人、ハイスクールのクラスで教えた生徒の男の子もキッチンコートをきて、キッチンハットをかぶって"お料理が大好きだからシェフになりたい"といってお料理のクラスを取っているのがとっても嬉しかった。
学校のカフェテリアの横にあるキッチンにいつもいたので、同じクラスの人以外の人たちとも顔見知りになれた。クラスの登録に行けば、そこのおばさんが名前で呼んでくれたり、校長先生とも知り合いになれたり。また、同じクラスの人が週末朝御飯をたべにおいでって行ってくれてお邪魔したり、クラスメイトだったクリスタルとは今でも連絡を取り合っている。その時まだ4歳と5歳だったクリスタルの子供はもう9歳と10歳。でも、今でも私が教えた"こんにちは"は覚えているみたい。私の事はよく覚えてないみたいだけど。あの時お世話になった人たちには、本当に感謝している。またいつか会える日が来るといいけれど。どこかで会ったらギュッとハグをしてなつかしい思いで話に花が咲く事でしょう。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
ハイスクールのインンストラクターを辞める
クラスが終わるまであともう少しという所で、私はハイスクールクッキングクラスのアシスタントインストラクターのアルバイトを辞めた。その理由の一つは、自分のクラスだけで精一杯で、ハイスクールクラスまで手が回らなかったという事、でも第一の理由は、ハイスクールクラスの責任者であるカーメンの考え方と私の考え方が合わなかったからである。
月曜から木曜まで、前の学期と変わらず私はハイスクールクラスのアルバイトを続けていた。緊張も溶けて、ハイスクールのクラスで何を生徒達に作ってもらおうかと色々なレシピを探したり、時には生徒達にお寿司の作り方を教えたりもした。新しいハイスクールのクラスには、近所で発砲事件を起こして捕まった事がある生徒もはいって来ていて、小心者の私はかなりビビッていた。クラスには生徒が25人くらいいて、その半分は前学期と同じ生徒達だった。私としてはその2学期目の生徒達には新しい生徒達のお手本になってほしかったから、「新しい人達に教えてあげてね」なんて"ちょっとは信頼しているのよ"という所を見せてみた。が、私の期待はみごとにはずれ、新しい生徒達と一緒になって、食べ物をぬすんだり、キッチンから抜け出したりする生徒が続出した。残念な事に、その生徒達はすべてメキシカンの生徒達だった。今考えると、私とカーメンの気をひきたかったのかもしれない。カーメンが言うには、このメキシカンの生徒達のほとんどは、家族が苦労してアメリカに移民してきた子達ばかりだったから。。。
白人の生徒達の中には、つまみぐいなんてかわいい物では無くて、キッチンや学校の外で傷害事件を起こしたりするような生徒が何人か居て、これまた怖かったけれどもキッチンの中ではイヤイヤながらも言われた事をしっかりとやっていたから私は別に気にはかけていなかった。どうしても目につくのは、大きな声で歌を歌ったりしているメキシカンの数人。私は前の学期からの生徒で、新しい子と一緒に騒いでいる生徒を一人冷蔵庫の裏に呼んで「あなたには、新しい生徒のお手本になって欲しい」と言った。しかし、その生徒は知らん顔。同じメキシカンでもきちんとして、とっても協力的な生徒もたくさん居た。でも、ほんの数人がクラスの雰囲気をとても悪くしていた。私はカーメンに何度も名指しでどの生徒が影でなにをしているかを話した。でも、コスタリカ出身でスペイン語が話せるカーメンはどうしてもメキシカンの生徒の味方をする。そして、カーメンは「メキシカンの生徒は『ふみえは人種差別する』って言っている」と言ってきた。私はカーメンに「カーメンはどう思う?」と聞いたら「私もそう思う」という答えが返ってきた。私は信じられなかった。どうしてアメリカで日本人の私がメキシコ人を差別しなくてはならないのだ???私は笑ってしまった。
ある日、白人の生徒が「自分の友達が刺されて重体だから病院に行きたい」と言ってきた。しかし、この生徒はとても不真面目で何度もクラスを休んでいるからカーメンに「今日一度でもキッチンから外に出たら、あなたはクラスから出て行きなさい」と言われた。そのあとその生徒がキッチンから出て、外でキッチンに様子を見に来た友達と話しをしているのを見かけたからカーメンに報告したら、その生徒は「自分の友達が死んでもふみえはどうも思わないのか?」と言ってきた。私は「私には関係無い事だから、どうでも良い」と答えた。「あなたが普段からしっかりクラスに来ていたら、病院だってどこへだって行けたんじゃない?」といったらその生徒はキッチンへと戻って来た。こんな事の繰り返しで、結局この生徒は辞めさせられた。でも、毎日騒いで何もしないメキシカンの数人は相変わらず。でも、カーメンは怒らない。一人のメキシカンの女生徒は、決められているキッチンハットを絶対にかぶらない。かぶると格好が悪くなるからだそうだ。これが3日続いたらクラスから出ていくべきだと私はカーメンに言った。カーメンも賛成したにもかかわらず、一週間たってもその子はキッチンハットをかぶらない。私はカーメンには何を言ってもどうにもならないたとわかったから、クラス全体の責任者のクオモにカーメンと意見が合わないと話した。するとクオモからカーメンへ「カーメンはクラスで生徒が歌を歌っていたらまずいと思わないのか?」と聞いたら「思わない」、「生徒がキッチンハットをかぶらないと衛生上問題になる」と言っても「私には私のやり方があるので」としか言わない。このキッチンハットをかぶらない女生徒は、これが2学期目にもかかわらず、新しい男生徒二人と騒いでばかり。
ある日、クラスが早くおわったから教室でお料理のビデオを見る事になった。その時に、カフェテリアの残りのフレンチフライを生徒達は食べていた。私も同じ教室にいて、カーメンはどこかへ行っていなかった。するとキッチンハットをかぶらない生徒と歌を歌ってばかりの男子二人があるメキシカンの女生徒にフレンチフライを投げ始めた。私は「やめなさい」と言ってもやめない。フレンチフライを投げられたメキシカンの女生徒は、とても良い子で私のお気に入りの一人だったけれども、この悪い3人組みには「メキシカンなのに白人ぶっている」と言われていやがらせをされていた。結局騒ぎは終わらないままクラスは終わり、この3人組にはクラスに残ってもらってカーメンと私と5人で話す事になった。でも、このメキシカンの生徒の態度と来たら、私の想像を超えていた。そこで、私は一番してはならない行為をしてしまった。。。。といっても、殴ったりしたわけではなく大声で怒鳴ったのだった。今考えると、もっと冷静にどうしてなれなかったのかと思うけれども、私は自分で自分を抑える事ができなかったのだ。
次の日にクオモと話し合って「くやしいけれども辞めます」と言った。クオモも「それがいいみたいだね」と言った。"生徒と先生を両立するのは難しい"とベイキングの先生のダニーに言われ、私もそう思った。この時は、自分の勉強がおろそかになって、ハイスクールの事ばかりに振り回されていたような気がする。クオモとカーメンとは何度も何度も話し合って辞めると決めたのだけれども、本当に辞めるとなると心の中に何かモヤモヤとした物が残った。ハイクールの生徒達には、クオモから「ふみえは自分の勉強が忙しくなったから、辞めました」と伝えられたようだった。クラスの中の数人の生徒が「ふみえが辞めたら、カーメンがひいきしている子達が図に乗るから辞めないで!」と言ってくれたり、「またクラスに遊びに来てくれるよね?I miss you」なんて言ってくれる優しい男子生徒もいて、私はそれだけでも嬉しかった。同じクラスのクリスタルやテレサには、「時給5ドルなんだし、カーメンにこき使われるんだから早くやめちゃいなよ〜」とずっといわれていたので「辞めた」と彼女達に言った時には喜んでくれた。
ハイスクールのアルバイトを辞めた後は、放課後学校の近くのカントリークラブにキッチンコートを着たままダーツをしにいって、昼間からカクテルを空腹のまま飲んで酔ったまま45分かけて車で家にフラフラしながら帰った事も何度かあった。ハイスクールのクラスもたのしかったけれども、高校の頃は毎日のように友達と寄り道をして遊んでばかりいた私には、自分が高校の頃の生活が戻ってきたような気がして嬉しくもあった。
最後にこのハイスクールクラスは、私が辞めた2週間後になくなってしまった。私の変わりにハリーがアシスタントをしていたのだけれども、高校の方がクッキングクラスに使うお金がなくなったと言う事でなくなってしまったのだ。私が怒鳴った生徒だけれども、一度だけバンケットの時にハイスクールの生徒と一緒になる機会があって私はなんとなく居心地が悪いかなと思っていたのだけれども、なれなれしく「ふみえ!元気?」なんて一番最初に話しかけてきたのがあの二人組だった。なんかずっとケンカ別れしていた友達と仲直りできたようで気分が良かった。私がアシスタントだった時は「つまみぐいしちゃダメ!」ばかり言っていたのに、積極的に「これ食べる?」なんて食べ物をたくさん与えてしまった。でも、キッチンハットをかぶらなかった女生徒はずっと知らん顔。やっぱり女ってコワイと思った。
月曜から木曜まで、前の学期と変わらず私はハイスクールクラスのアルバイトを続けていた。緊張も溶けて、ハイスクールのクラスで何を生徒達に作ってもらおうかと色々なレシピを探したり、時には生徒達にお寿司の作り方を教えたりもした。新しいハイスクールのクラスには、近所で発砲事件を起こして捕まった事がある生徒もはいって来ていて、小心者の私はかなりビビッていた。クラスには生徒が25人くらいいて、その半分は前学期と同じ生徒達だった。私としてはその2学期目の生徒達には新しい生徒達のお手本になってほしかったから、「新しい人達に教えてあげてね」なんて"ちょっとは信頼しているのよ"という所を見せてみた。が、私の期待はみごとにはずれ、新しい生徒達と一緒になって、食べ物をぬすんだり、キッチンから抜け出したりする生徒が続出した。残念な事に、その生徒達はすべてメキシカンの生徒達だった。今考えると、私とカーメンの気をひきたかったのかもしれない。カーメンが言うには、このメキシカンの生徒達のほとんどは、家族が苦労してアメリカに移民してきた子達ばかりだったから。。。
白人の生徒達の中には、つまみぐいなんてかわいい物では無くて、キッチンや学校の外で傷害事件を起こしたりするような生徒が何人か居て、これまた怖かったけれどもキッチンの中ではイヤイヤながらも言われた事をしっかりとやっていたから私は別に気にはかけていなかった。どうしても目につくのは、大きな声で歌を歌ったりしているメキシカンの数人。私は前の学期からの生徒で、新しい子と一緒に騒いでいる生徒を一人冷蔵庫の裏に呼んで「あなたには、新しい生徒のお手本になって欲しい」と言った。しかし、その生徒は知らん顔。同じメキシカンでもきちんとして、とっても協力的な生徒もたくさん居た。でも、ほんの数人がクラスの雰囲気をとても悪くしていた。私はカーメンに何度も名指しでどの生徒が影でなにをしているかを話した。でも、コスタリカ出身でスペイン語が話せるカーメンはどうしてもメキシカンの生徒の味方をする。そして、カーメンは「メキシカンの生徒は『ふみえは人種差別する』って言っている」と言ってきた。私はカーメンに「カーメンはどう思う?」と聞いたら「私もそう思う」という答えが返ってきた。私は信じられなかった。どうしてアメリカで日本人の私がメキシコ人を差別しなくてはならないのだ???私は笑ってしまった。
ある日、白人の生徒が「自分の友達が刺されて重体だから病院に行きたい」と言ってきた。しかし、この生徒はとても不真面目で何度もクラスを休んでいるからカーメンに「今日一度でもキッチンから外に出たら、あなたはクラスから出て行きなさい」と言われた。そのあとその生徒がキッチンから出て、外でキッチンに様子を見に来た友達と話しをしているのを見かけたからカーメンに報告したら、その生徒は「自分の友達が死んでもふみえはどうも思わないのか?」と言ってきた。私は「私には関係無い事だから、どうでも良い」と答えた。「あなたが普段からしっかりクラスに来ていたら、病院だってどこへだって行けたんじゃない?」といったらその生徒はキッチンへと戻って来た。こんな事の繰り返しで、結局この生徒は辞めさせられた。でも、毎日騒いで何もしないメキシカンの数人は相変わらず。でも、カーメンは怒らない。一人のメキシカンの女生徒は、決められているキッチンハットを絶対にかぶらない。かぶると格好が悪くなるからだそうだ。これが3日続いたらクラスから出ていくべきだと私はカーメンに言った。カーメンも賛成したにもかかわらず、一週間たってもその子はキッチンハットをかぶらない。私はカーメンには何を言ってもどうにもならないたとわかったから、クラス全体の責任者のクオモにカーメンと意見が合わないと話した。するとクオモからカーメンへ「カーメンはクラスで生徒が歌を歌っていたらまずいと思わないのか?」と聞いたら「思わない」、「生徒がキッチンハットをかぶらないと衛生上問題になる」と言っても「私には私のやり方があるので」としか言わない。このキッチンハットをかぶらない女生徒は、これが2学期目にもかかわらず、新しい男生徒二人と騒いでばかり。
ある日、クラスが早くおわったから教室でお料理のビデオを見る事になった。その時に、カフェテリアの残りのフレンチフライを生徒達は食べていた。私も同じ教室にいて、カーメンはどこかへ行っていなかった。するとキッチンハットをかぶらない生徒と歌を歌ってばかりの男子二人があるメキシカンの女生徒にフレンチフライを投げ始めた。私は「やめなさい」と言ってもやめない。フレンチフライを投げられたメキシカンの女生徒は、とても良い子で私のお気に入りの一人だったけれども、この悪い3人組みには「メキシカンなのに白人ぶっている」と言われていやがらせをされていた。結局騒ぎは終わらないままクラスは終わり、この3人組にはクラスに残ってもらってカーメンと私と5人で話す事になった。でも、このメキシカンの生徒の態度と来たら、私の想像を超えていた。そこで、私は一番してはならない行為をしてしまった。。。。といっても、殴ったりしたわけではなく大声で怒鳴ったのだった。今考えると、もっと冷静にどうしてなれなかったのかと思うけれども、私は自分で自分を抑える事ができなかったのだ。
次の日にクオモと話し合って「くやしいけれども辞めます」と言った。クオモも「それがいいみたいだね」と言った。"生徒と先生を両立するのは難しい"とベイキングの先生のダニーに言われ、私もそう思った。この時は、自分の勉強がおろそかになって、ハイスクールの事ばかりに振り回されていたような気がする。クオモとカーメンとは何度も何度も話し合って辞めると決めたのだけれども、本当に辞めるとなると心の中に何かモヤモヤとした物が残った。ハイクールの生徒達には、クオモから「ふみえは自分の勉強が忙しくなったから、辞めました」と伝えられたようだった。クラスの中の数人の生徒が「ふみえが辞めたら、カーメンがひいきしている子達が図に乗るから辞めないで!」と言ってくれたり、「またクラスに遊びに来てくれるよね?I miss you」なんて言ってくれる優しい男子生徒もいて、私はそれだけでも嬉しかった。同じクラスのクリスタルやテレサには、「時給5ドルなんだし、カーメンにこき使われるんだから早くやめちゃいなよ〜」とずっといわれていたので「辞めた」と彼女達に言った時には喜んでくれた。
ハイスクールのアルバイトを辞めた後は、放課後学校の近くのカントリークラブにキッチンコートを着たままダーツをしにいって、昼間からカクテルを空腹のまま飲んで酔ったまま45分かけて車で家にフラフラしながら帰った事も何度かあった。ハイスクールのクラスもたのしかったけれども、高校の頃は毎日のように友達と寄り道をして遊んでばかりいた私には、自分が高校の頃の生活が戻ってきたような気がして嬉しくもあった。
最後にこのハイスクールクラスは、私が辞めた2週間後になくなってしまった。私の変わりにハリーがアシスタントをしていたのだけれども、高校の方がクッキングクラスに使うお金がなくなったと言う事でなくなってしまったのだ。私が怒鳴った生徒だけれども、一度だけバンケットの時にハイスクールの生徒と一緒になる機会があって私はなんとなく居心地が悪いかなと思っていたのだけれども、なれなれしく「ふみえ!元気?」なんて一番最初に話しかけてきたのがあの二人組だった。なんかずっとケンカ別れしていた友達と仲直りできたようで気分が良かった。私がアシスタントだった時は「つまみぐいしちゃダメ!」ばかり言っていたのに、積極的に「これ食べる?」なんて食べ物をたくさん与えてしまった。でも、キッチンハットをかぶらなかった女生徒はずっと知らん顔。やっぱり女ってコワイと思った。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
最後の試験対策
2年目の2学期目。ACFに認定された事もあって、いきなり新入生の数が増えた。クラスに入れなかった生徒もいると聞いてビックリ。私に取ってこれが最後の学期。この学期は、私と同期のテレサはほとんど大きな冷蔵庫、冷凍庫の中で過ごした。2学期目のSous Chefはキッチンには他のSous Chefが休んだ時など以外はずっとキッチンの裏で、お金の計算と何を注文するかなどのつまらない雑用ばかり。まず、毎日のメニューは決まっているから、それを見てキッチンの生徒が私達の所へ注文表を持ってくる。例えば、"キューリ10本、にんじん 10パウンド、鶏肉10パウンド"のような感じで。これがカフェテリア、スープ、サラダバー、レストラン、ブレックファスト、そしてベイキングの担当の生徒達、そしてバンケットがある時はその分も全部揃えないといけなくて、とっても面倒くさい。たまに訳のわからない物を注文する生徒も居て(私も、「味噌汁作るから味噌を買って」と言った事があった)これは特別にキッチン全体のお財布を握っているダイアンの所へ行ってクラスが始まる前に買ってきてもらわないといけない。
朝は野菜や肉などを運んでくるトラックが朝の6時半頃に来るので、それに間に合うように学校へ行って注文した物が全部揃っているかを調べる。そのあとに、キッチンの中のそれぞれの場所に、注文された品物を揃えておいておく。これが終わったら、今度は足りない物を取りに来る生徒がちゃんと用紙に書き込んだ分だけ持って行くかをチェック。この間に冷凍庫、冷蔵庫の中、そして倉庫の中の掃除などをする。ベイキングの生徒が小麦粉が無いといえば、大きな小麦粉の袋をえっちらほっちらとかついでおおきなコンテナにぶちこむ。たまにつぶれてしまった近くのレストランからとてつもない数のバーベキューソースとか名前も聞いた事も無い物が運ばれてくるので、それもちゃんと並べる。週に一度、何がいくつあるかを計算して先生に報告。例えば、キドニービーンズの缶(大)が15コ、ラマビーンズが30パウンド、、、、、などなど。これをするだけで一日が終わってしまう。この他には、生徒が使うエプロンを洗濯屋に出す。あまり使いすぎると奇麗なものが無くなってしまうから、しょっちゅう変えさせないようにする。クラスが終わった後は、生徒全員がちゃんと掃除をしているかをチェックして、サボッて早く帰った人がいないか調べるなんて事もさせられた。
冷蔵庫、冷凍庫の中は勿論寒かった。これが夏だったら気もちよかったのだろうけど、真冬でたまに雪が降っている時なんかもあって、地獄だった。わたしとテレサは手袋とユニフォームの下にはセーター、ズボンの下にはももひきを履いていた。毎日こんなんで、包丁も使わないしキッチンへはたまにウロウロしに行くくらい。この他に、最後の学期には、先生達に採点してもらう最後の試験のような物があった。一人で4人分のフルコースのディナーを作るか、一つ大きなセンターピースを作って、その回りにそれを演出するようなこまごまとした物を作るか。そして、その料理についての10ページくらいのレポートも書く。私はこの最後の一品に何を作るかとても悩んだ。最初は日本の和菓子を作ろうかと思って、ラマビーンズ(白くて大きいマメ)で白あんを作って、あずきの変わりにブラックビーンズであんこを作った。これで"ねりきり"を作ろうかと思ったのだけれども冷蔵庫に"Don't Touch!"と私の名前を書いて貼ってあんこを置いておくと、みんなに「なにこれ〜〜〜!!!気持ち悪い!」と言われた。和菓子の本には、ねりきりを作るには白あんを使うと書いてあったので、挑戦してみたけれどどうしてもうまくいかない。やはり、本を見てその通りにとは行かなかった。そこでそれならウェディングケーキを作ろう!と決めて、キッチンの中にあるミニ図書館でケーキの本を探してきてキャロットケーキとクリームチーズフロスティングで作るウェディングケーキに決めた。これはマジパンで作ったちいさなバラの花がちりばめてあるケーキ。
これを作る日に丁度学校でバンケットがあるので、その時のデザートに出す事になった。まず、すごい数のにんじんの皮をむく所から始まって、マジパンをオレンジ、黄色に染め、ようじにいろんな大きさのバラの花を作ってかわかしていった。これはクリスタリに手伝ってもらって3日くらいかかった。このケーキを完成させる当日は、朝の7時から12時すぎまでずっとこのケーキにかかりっきり。こんなに大変だとは思わなかったけれども無事完成!とても嬉しかったけれども、すっごく疲れた。このケーキをカートにのせて、冷蔵庫へと運んで洗いものをしていたら、同じクラスのハリーというおじさんが「ふみえ、冷蔵庫につぶれてるケーキがあったけど、あれふみえのケーキ?」なんて言ってきた。私が「え〜!!」と驚いたら「ウソウソ〜」と言ってハグをしてくれた。このハリー、最初はとても苦手だったのだけれども、一度慣れてしまったらすごく優しいおじさんだった。一度、マジパンでバーニーという紫色の怪獣を作ってケーキの上に乗せたら(こんなものばかり作っていた私だった)このハリー、ちゃんと同じ紫色に目をつけたかたまりに足跡をくっつけて「ふみえ、バーニーふんずけちゃった」と言ってもってきた。私は「え〜!!どうして〜!!!」と言ったらもう片方の手にはちゃんと私のバーニが居た。この時もみんなで大笑い。このバーニー、次の日には何故かE.Tになっていたのだけれども。。。多分ハイスクールの生徒の仕業だと思う。。。
話しはそれたけれども、このケーキも作り終わって、いよいよキッチンともさようならする日が近づいていた。
朝は野菜や肉などを運んでくるトラックが朝の6時半頃に来るので、それに間に合うように学校へ行って注文した物が全部揃っているかを調べる。そのあとに、キッチンの中のそれぞれの場所に、注文された品物を揃えておいておく。これが終わったら、今度は足りない物を取りに来る生徒がちゃんと用紙に書き込んだ分だけ持って行くかをチェック。この間に冷凍庫、冷蔵庫の中、そして倉庫の中の掃除などをする。ベイキングの生徒が小麦粉が無いといえば、大きな小麦粉の袋をえっちらほっちらとかついでおおきなコンテナにぶちこむ。たまにつぶれてしまった近くのレストランからとてつもない数のバーベキューソースとか名前も聞いた事も無い物が運ばれてくるので、それもちゃんと並べる。週に一度、何がいくつあるかを計算して先生に報告。例えば、キドニービーンズの缶(大)が15コ、ラマビーンズが30パウンド、、、、、などなど。これをするだけで一日が終わってしまう。この他には、生徒が使うエプロンを洗濯屋に出す。あまり使いすぎると奇麗なものが無くなってしまうから、しょっちゅう変えさせないようにする。クラスが終わった後は、生徒全員がちゃんと掃除をしているかをチェックして、サボッて早く帰った人がいないか調べるなんて事もさせられた。
冷蔵庫、冷凍庫の中は勿論寒かった。これが夏だったら気もちよかったのだろうけど、真冬でたまに雪が降っている時なんかもあって、地獄だった。わたしとテレサは手袋とユニフォームの下にはセーター、ズボンの下にはももひきを履いていた。毎日こんなんで、包丁も使わないしキッチンへはたまにウロウロしに行くくらい。この他に、最後の学期には、先生達に採点してもらう最後の試験のような物があった。一人で4人分のフルコースのディナーを作るか、一つ大きなセンターピースを作って、その回りにそれを演出するようなこまごまとした物を作るか。そして、その料理についての10ページくらいのレポートも書く。私はこの最後の一品に何を作るかとても悩んだ。最初は日本の和菓子を作ろうかと思って、ラマビーンズ(白くて大きいマメ)で白あんを作って、あずきの変わりにブラックビーンズであんこを作った。これで"ねりきり"を作ろうかと思ったのだけれども冷蔵庫に"Don't Touch!"と私の名前を書いて貼ってあんこを置いておくと、みんなに「なにこれ〜〜〜!!!気持ち悪い!」と言われた。和菓子の本には、ねりきりを作るには白あんを使うと書いてあったので、挑戦してみたけれどどうしてもうまくいかない。やはり、本を見てその通りにとは行かなかった。そこでそれならウェディングケーキを作ろう!と決めて、キッチンの中にあるミニ図書館でケーキの本を探してきてキャロットケーキとクリームチーズフロスティングで作るウェディングケーキに決めた。これはマジパンで作ったちいさなバラの花がちりばめてあるケーキ。
これを作る日に丁度学校でバンケットがあるので、その時のデザートに出す事になった。まず、すごい数のにんじんの皮をむく所から始まって、マジパンをオレンジ、黄色に染め、ようじにいろんな大きさのバラの花を作ってかわかしていった。これはクリスタリに手伝ってもらって3日くらいかかった。このケーキを完成させる当日は、朝の7時から12時すぎまでずっとこのケーキにかかりっきり。こんなに大変だとは思わなかったけれども無事完成!とても嬉しかったけれども、すっごく疲れた。このケーキをカートにのせて、冷蔵庫へと運んで洗いものをしていたら、同じクラスのハリーというおじさんが「ふみえ、冷蔵庫につぶれてるケーキがあったけど、あれふみえのケーキ?」なんて言ってきた。私が「え〜!!」と驚いたら「ウソウソ〜」と言ってハグをしてくれた。このハリー、最初はとても苦手だったのだけれども、一度慣れてしまったらすごく優しいおじさんだった。一度、マジパンでバーニーという紫色の怪獣を作ってケーキの上に乗せたら(こんなものばかり作っていた私だった)このハリー、ちゃんと同じ紫色に目をつけたかたまりに足跡をくっつけて「ふみえ、バーニーふんずけちゃった」と言ってもってきた。私は「え〜!!どうして〜!!!」と言ったらもう片方の手にはちゃんと私のバーニが居た。この時もみんなで大笑い。このバーニー、次の日には何故かE.Tになっていたのだけれども。。。多分ハイスクールの生徒の仕業だと思う。。。
話しはそれたけれども、このケーキも作り終わって、いよいよキッチンともさようならする日が近づいていた。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
キッチンで泣いた
2年目の1学期になった。自分のクラスでは、相変わらずウロウロとあっちこっちへ行ったり来たり。ハイスクールのクラスもあって、かなり疲れていた。朝は5時半に起きて、6時すぎには家を出て学校へ。帰りは家に着くのは7時すぎ。そして寝るのは10時。目がまわるくらい忙しかったけれども、かなり充実していた。
学校では、私たちのクラスを ACF(アメリカン カリナリー フェデレーション)から認定の学校にしてもらおうと言うので、連日DCやシカゴなどからインスペクターが来て、キッチンをうろうろし始めた。このインスペクターは、冷蔵庫の中にある物にちゃんとレーベルと日付がついているかとか、冷蔵庫の温度がちゃんと一定に保たれているか、そして学校のカリキュラムはちゃんとなっているか。などをチェックしに来る。キッチンの隅から隅までクラス全員で奇麗に掃除をして全部点検しなおしても、何かミスがあったら大変というので、先生達も生徒達もかなり緊張していた。2日間、キッチンの中はいつもピリピリ。特に、Sous Chefの人達は、自分のファイルを見せてと言われたり、「○○は何度に保っておかないと腐るか知っているか?」とか、「緊急用の○○シートがどこにあるかわかるか?」などと思ってもみない事を質問されるので、私はいつもキッチンの奥にかくれて目立たないようにしていた。
私は丁度そのインスペクションがある週は、ブレックファストの担当だった。カフェテリアの隅にある"スカジットカフェ"では、朝はブレックファスト。昼はランチを出していた。一年目、私がブレックファストの担当だった時は、ご飯としゃけのかす漬け、味噌汁を出したりもした。ランチでは、かつ丼と親子丼も作って「本当に売れるの〜?」なんて言われながらもすぐに完売したのだった。
狭いキッチンの奥ではブレックファストの生徒達がオーダーされた物を作っていく。狭いカウンターのもう半分では、ランチ担当の生徒達が準備をしていた。私はなるべく散らかさないようにと、整理整頓しながら料理していたのだけれども、ランチ担当のラインハルトという人がどうしても私の陣地に入ってきて散らかす。私が「ねえ、ちょっと。散らかさないでよ」と言っても「うん」と言いながらまた散らかす。そこへシェフ ドンが来て「ふみえ。そこ、ちゃんと奇麗に片付けないと」と言ってきたから「これは、私じゃなくてラインハルトだもの。彼には何度もかたすように言っているのに、片付けない」と言うと「それは、きっと言った事が通じなかったんじゃないか」と言ってきた。ここで私はプツンと切れて泣きだしてしまった。言葉が通じない。こんな事私にはわかっている。でも、このクラスに入って1年とちょっと。最初はみんな「は?」って首をかしげていたけれども、慣れればわかってくれるようになった。なのに、ここで「言葉の問題がある」なんて言われて平静を保っていられるわけがない。シクシク泣いていると、マーティーという50すぎの大きなお腹をしたおじさんが「ふみえ。ハニー(といつも人を呼ぶ)ドント クライ」と言ってホッペにチュッしてくれた。今考えるとキッチンで何をやっているのかと思うけれども。。。そのまま私はトイレに直行して顔を洗ってキッチンへ戻った。それからずっとシェフ ドンを一日無視した。シェフ ドンが「ふみえ」と呼んでも無視。クラスが終わって私はハイスクールクラスの準備をしていた。クラスが始まって少したった頃にシェフ ドンに呼ばれた。カーメンに「行ってらっしゃい」と言われて素直にシェフ ドンと話しに行った。
シェフ ドンには、「言葉の問題があるのはわかっています。でも、それをズバリ人から言われるのはツライ」と言った。するとシェフ ドンは「そんなつもりで言ったんじゃないんだ。ラインハルトは、自分の世界に入ると他の人の言っている事が聞こえないってんで、ラインハルトに問題があるっていう意味だったんだ。ふみえは、僕が驚く程良くやっているし、自分だったら出来ないよ」なんて言ってきた。本当かな?うまく言い訳してるんじゃないかな?なんて思った。しかし、実際にラインハルトには、ちょっと問題があって、軍隊からキックアウトされたらしいし、すごく年上の奥さんと結婚して、そのあと奥さんがラインハルトに暴力をふるって刑務所に入れられたという話も聞いた。シェフ ドンは私の手を握って、「ふみえをこんな気持ちにさせてしまって、ごめんね」と言ってきた。
次の日クラスでラインハルトに会うと「ふみえ、昨日はごめんね」と言ってきた。このいざこざはこれで丸く納まり、ACFからも認定される事になってみんな大喜びだった。
学校では、私たちのクラスを ACF(アメリカン カリナリー フェデレーション)から認定の学校にしてもらおうと言うので、連日DCやシカゴなどからインスペクターが来て、キッチンをうろうろし始めた。このインスペクターは、冷蔵庫の中にある物にちゃんとレーベルと日付がついているかとか、冷蔵庫の温度がちゃんと一定に保たれているか、そして学校のカリキュラムはちゃんとなっているか。などをチェックしに来る。キッチンの隅から隅までクラス全員で奇麗に掃除をして全部点検しなおしても、何かミスがあったら大変というので、先生達も生徒達もかなり緊張していた。2日間、キッチンの中はいつもピリピリ。特に、Sous Chefの人達は、自分のファイルを見せてと言われたり、「○○は何度に保っておかないと腐るか知っているか?」とか、「緊急用の○○シートがどこにあるかわかるか?」などと思ってもみない事を質問されるので、私はいつもキッチンの奥にかくれて目立たないようにしていた。
私は丁度そのインスペクションがある週は、ブレックファストの担当だった。カフェテリアの隅にある"スカジットカフェ"では、朝はブレックファスト。昼はランチを出していた。一年目、私がブレックファストの担当だった時は、ご飯としゃけのかす漬け、味噌汁を出したりもした。ランチでは、かつ丼と親子丼も作って「本当に売れるの〜?」なんて言われながらもすぐに完売したのだった。
狭いキッチンの奥ではブレックファストの生徒達がオーダーされた物を作っていく。狭いカウンターのもう半分では、ランチ担当の生徒達が準備をしていた。私はなるべく散らかさないようにと、整理整頓しながら料理していたのだけれども、ランチ担当のラインハルトという人がどうしても私の陣地に入ってきて散らかす。私が「ねえ、ちょっと。散らかさないでよ」と言っても「うん」と言いながらまた散らかす。そこへシェフ ドンが来て「ふみえ。そこ、ちゃんと奇麗に片付けないと」と言ってきたから「これは、私じゃなくてラインハルトだもの。彼には何度もかたすように言っているのに、片付けない」と言うと「それは、きっと言った事が通じなかったんじゃないか」と言ってきた。ここで私はプツンと切れて泣きだしてしまった。言葉が通じない。こんな事私にはわかっている。でも、このクラスに入って1年とちょっと。最初はみんな「は?」って首をかしげていたけれども、慣れればわかってくれるようになった。なのに、ここで「言葉の問題がある」なんて言われて平静を保っていられるわけがない。シクシク泣いていると、マーティーという50すぎの大きなお腹をしたおじさんが「ふみえ。ハニー(といつも人を呼ぶ)ドント クライ」と言ってホッペにチュッしてくれた。今考えるとキッチンで何をやっているのかと思うけれども。。。そのまま私はトイレに直行して顔を洗ってキッチンへ戻った。それからずっとシェフ ドンを一日無視した。シェフ ドンが「ふみえ」と呼んでも無視。クラスが終わって私はハイスクールクラスの準備をしていた。クラスが始まって少したった頃にシェフ ドンに呼ばれた。カーメンに「行ってらっしゃい」と言われて素直にシェフ ドンと話しに行った。
シェフ ドンには、「言葉の問題があるのはわかっています。でも、それをズバリ人から言われるのはツライ」と言った。するとシェフ ドンは「そんなつもりで言ったんじゃないんだ。ラインハルトは、自分の世界に入ると他の人の言っている事が聞こえないってんで、ラインハルトに問題があるっていう意味だったんだ。ふみえは、僕が驚く程良くやっているし、自分だったら出来ないよ」なんて言ってきた。本当かな?うまく言い訳してるんじゃないかな?なんて思った。しかし、実際にラインハルトには、ちょっと問題があって、軍隊からキックアウトされたらしいし、すごく年上の奥さんと結婚して、そのあと奥さんがラインハルトに暴力をふるって刑務所に入れられたという話も聞いた。シェフ ドンは私の手を握って、「ふみえをこんな気持ちにさせてしまって、ごめんね」と言ってきた。
次の日クラスでラインハルトに会うと「ふみえ、昨日はごめんね」と言ってきた。このいざこざはこれで丸く納まり、ACFからも認定される事になってみんな大喜びだった。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
インストラクターになる。
夏休みにカフェテリアで一緒に働いていたデビーが学校を辞める事になった。デビーは、私たちの授業が終わったあとにあるお料理クラスで、近くの高校生にお料理を教えていた。この高校生のクラスは、本当に料理が好きな生徒、もしくは学校の授業についていけない生徒が、卒業する為に単位を稼ぐためのクラスである。デビーがやめてしまって、クオモがSous Chefのみんなに「アシスタント インストラクターをやってみない?」と言ってきた。でもみんな「イヤだよ。そんなの疲れる」と言っていた。そりゃそうだ。朝の7時からクラスが始まって終わるのが2時。ハイスクールのクラスが始まるのが2時半で終わるのが6時。それが月曜から木曜まで毎日。学校でバンケットがある時は、そのお手伝いもしないといけない。考えただけで疲れた。特に、私は夏から知り合いの日本人女性の家に引っ越しをして、学校から車で45分もかかる所だったのでムリムリ。と思っていた。しかし、誰もやってくれないと困るというので、クオモは私一人をオフィスに呼んで「やってみない?」と言って来た。自給5ドル。5ドルにしてはかなりキツい仕事である。シェフ ドンに相談したら、「学校で働いたら、移動しなくてもいいし、週末はお休みできるよ。やってごらんよ」と言ってくれた。
クオモに「やってみる」と言うと喜んでくれた。早速その日から残って授業。インストラクターは、前学期までアシスタントだったカーメン。コスタリカの人で、スペイン語も話す。とても良い人で仲良くしていたので、これは安心だった。生徒達は、全部で約25人。メキシコ人が多く、みんなスペイン語と英語を話す。白人の生徒は10人くらいだった。このメキシコ人の生徒の中には、ギャングのメンバーも居ると聞いて、かなりビビッた。ほとんどが男子生徒だったのだけれども、みんな背が高くヒゲを生やしている生徒も多い。日本の高校生でヒゲ生やして学生服なんて見た事ない。女生徒達も、化粧バッチリでやたらきれい。
最初、ちょっと怖くて始めの一週間はとっても優しくしていたのだけれども、ある日生徒に「へー。何にでもニコニコするんだね」と言われてから私は変わってしまった。それからは、かなりイヤーなコワイ姉ちゃんに変身したのだった。つまみ食いをする生徒には、怒鳴りつけ、歌を歌出だす生徒達には「歌やめる?それともクラスやめる?」なんて言っていた。ちゃんと普通に良い生徒も半分くらい居たので、大抵はその子達に教えていた。クラスでは、ベーキングとフードプレップにわかれて、次の日にカフェテリアで出すクッキーやパン、シナモンロールなんかを焼いたり、サラダバーの掃除、準備などもした。バンケットがある時には、その準備。ウェイトレス、ウェイターにする生徒達には、そのやり方を教えたりなどもした。レシピも自分で考えて、サラダやクッキーやコーヒーケーキなどを作らせたり、日本のパンの本を持っていって、ゾウとか恐竜の形をしたパンを作らせたりもした。
生徒達がちゃんとやる事をやってくれれば、私も怒らない。でも、髪形が気になる女生徒達は、ちゃんとキッチンハットをかぶらなかったり、爪を凶器になるくらい伸ばしていたりする。爪は短く切らないと、きたないから切りなさいと言っても切らない。カーメンに相談しても、同じスペイン語を話すからなのかどうしてもメキシコ人の生徒達には甘い。この事をクオモに相談したのだけれども、クオモからカーメンに「ちゃんと衛生上の規則は守らないとダメだ」と言ってもらっても、カーメンは「もう一度チャンスを上げたい」なんて言って怒らない。一部の悪い生徒達が、他の生徒達にいちゃもんつけたりして、キッチンの中でケンカも始まったりもした。一部の生徒達は「カーメンは、悪い子達にも甘すぎる。私、影でいじめられているんだから」なんて言って来る子も居た。
いろんなゴタゴタはあったけれども、どうにかこの学期は終わった。自分のクラスよりも、このハイスクールのクラスでかなり忙しかったような気がする。
クオモに「やってみる」と言うと喜んでくれた。早速その日から残って授業。インストラクターは、前学期までアシスタントだったカーメン。コスタリカの人で、スペイン語も話す。とても良い人で仲良くしていたので、これは安心だった。生徒達は、全部で約25人。メキシコ人が多く、みんなスペイン語と英語を話す。白人の生徒は10人くらいだった。このメキシコ人の生徒の中には、ギャングのメンバーも居ると聞いて、かなりビビッた。ほとんどが男子生徒だったのだけれども、みんな背が高くヒゲを生やしている生徒も多い。日本の高校生でヒゲ生やして学生服なんて見た事ない。女生徒達も、化粧バッチリでやたらきれい。
最初、ちょっと怖くて始めの一週間はとっても優しくしていたのだけれども、ある日生徒に「へー。何にでもニコニコするんだね」と言われてから私は変わってしまった。それからは、かなりイヤーなコワイ姉ちゃんに変身したのだった。つまみ食いをする生徒には、怒鳴りつけ、歌を歌出だす生徒達には「歌やめる?それともクラスやめる?」なんて言っていた。ちゃんと普通に良い生徒も半分くらい居たので、大抵はその子達に教えていた。クラスでは、ベーキングとフードプレップにわかれて、次の日にカフェテリアで出すクッキーやパン、シナモンロールなんかを焼いたり、サラダバーの掃除、準備などもした。バンケットがある時には、その準備。ウェイトレス、ウェイターにする生徒達には、そのやり方を教えたりなどもした。レシピも自分で考えて、サラダやクッキーやコーヒーケーキなどを作らせたり、日本のパンの本を持っていって、ゾウとか恐竜の形をしたパンを作らせたりもした。
生徒達がちゃんとやる事をやってくれれば、私も怒らない。でも、髪形が気になる女生徒達は、ちゃんとキッチンハットをかぶらなかったり、爪を凶器になるくらい伸ばしていたりする。爪は短く切らないと、きたないから切りなさいと言っても切らない。カーメンに相談しても、同じスペイン語を話すからなのかどうしてもメキシコ人の生徒達には甘い。この事をクオモに相談したのだけれども、クオモからカーメンに「ちゃんと衛生上の規則は守らないとダメだ」と言ってもらっても、カーメンは「もう一度チャンスを上げたい」なんて言って怒らない。一部の悪い生徒達が、他の生徒達にいちゃもんつけたりして、キッチンの中でケンカも始まったりもした。一部の生徒達は「カーメンは、悪い子達にも甘すぎる。私、影でいじめられているんだから」なんて言って来る子も居た。
いろんなゴタゴタはあったけれども、どうにかこの学期は終わった。自分のクラスよりも、このハイスクールのクラスでかなり忙しかったような気がする。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
教える相手は銀行強盗をして休学してたorz
夏休みが終わって新学期が始まった。今日から私もSous Chef。赤いネクタイをもらってちょっと良い気分。学期が始まる日は、朝のミーティングで自己紹介と何か一言言わされる。「Sous Chefになりました」と言うと、みんな「いえーい。おめでとう」なんて言ってくれた。クラスには、若い男子生徒が何故かたくさんいた(たいてい、30代から50代が多いから、ちょっと緊張した)。クリスタルと早速「どれがカッコいいと思う?」なんて話しをしていた。
Sous Chefになると、朝一年生がフードセオリーの授業をしている時に、ミーティングがある。そして、一年目の生徒について、2週間交代でフードプレップ、レストラン、ベーキングなどを回ってインストラクターのお手伝いをするのだ。運が良いのか悪いのか。。。ナント、私は銀行強盗をした人につく事になったのだった。。。
彼女は、とーっても太っていた。朝7時からのミーティングの最中に、ピザをぱくついていたりする。そして、フードセオリーのクラスでは、授業中に座っていたイスの足がピューっと曲がってしまったらしい。同じ教室にいた生徒は、さすがに笑えなかったと言っていたが。。。彼女は、かなり前にこのお料理クラスを取っていたのだけれども、銀行強盗をして捕まって休学していたらしい。最初に銀行強盗と聞いた時は、おどろいた。ちょっとビビッたけれども、話してみたら普通の人。だった。最初は。しかし、ゴーイング マイウェイというか、「ねえ、○○の用意してある?」なんて聞くと、ぐだぐだと言い訳を並べるような人。そして、動作がノロい。見ていてちょっとイライラしたから「もう勝手にして」と言って、私は違う事をしていたような気がする。これじゃあSous Chefは失格。せっかちで短気な私には、向かない仕事だった。
銀行強盗も驚くけれども、一年目の同じクラスのおじさんは、誘拐で捕まっていた。誘拐と言うと聞こえは悪いけれども、ガールフレンドとの間に産まれた赤ん坊を、ガールフレンドとケンカをしたから盗んで逃げていたらしい。地元の新聞には、手錠をかけられた写真が一面に載っていたからビックリ。さすがアメリカ〜なんて感心してしまった。そういえば、ESLにいた時は、同じクラスにいたアメリカ人のおじさん「僕が刑務所に居た時は〜」なんて話をし初めて、驚いた事もあった。
誘拐で捕まったおじさんだけれども、さすがにもうクラスには来ないだろう、、、と思っていたら、ちゃんと戻って来た。私には、できないと思った。
Sous Chefになると、朝一年生がフードセオリーの授業をしている時に、ミーティングがある。そして、一年目の生徒について、2週間交代でフードプレップ、レストラン、ベーキングなどを回ってインストラクターのお手伝いをするのだ。運が良いのか悪いのか。。。ナント、私は銀行強盗をした人につく事になったのだった。。。
彼女は、とーっても太っていた。朝7時からのミーティングの最中に、ピザをぱくついていたりする。そして、フードセオリーのクラスでは、授業中に座っていたイスの足がピューっと曲がってしまったらしい。同じ教室にいた生徒は、さすがに笑えなかったと言っていたが。。。彼女は、かなり前にこのお料理クラスを取っていたのだけれども、銀行強盗をして捕まって休学していたらしい。最初に銀行強盗と聞いた時は、おどろいた。ちょっとビビッたけれども、話してみたら普通の人。だった。最初は。しかし、ゴーイング マイウェイというか、「ねえ、○○の用意してある?」なんて聞くと、ぐだぐだと言い訳を並べるような人。そして、動作がノロい。見ていてちょっとイライラしたから「もう勝手にして」と言って、私は違う事をしていたような気がする。これじゃあSous Chefは失格。せっかちで短気な私には、向かない仕事だった。
銀行強盗も驚くけれども、一年目の同じクラスのおじさんは、誘拐で捕まっていた。誘拐と言うと聞こえは悪いけれども、ガールフレンドとの間に産まれた赤ん坊を、ガールフレンドとケンカをしたから盗んで逃げていたらしい。地元の新聞には、手錠をかけられた写真が一面に載っていたからビックリ。さすがアメリカ〜なんて感心してしまった。そういえば、ESLにいた時は、同じクラスにいたアメリカ人のおじさん「僕が刑務所に居た時は〜」なんて話をし初めて、驚いた事もあった。
誘拐で捕まったおじさんだけれども、さすがにもうクラスには来ないだろう、、、と思っていたら、ちゃんと戻って来た。私には、できないと思った。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
病院で縫合と注射
夏休みのボランティアが終わる頃。ある日の午後、私は大きなローストビーフのかたまりと、ハム、ターキーのかたまりを電動スライス機で(刃の部分が、ぐるぐると回っている機械)ひたすら一人でスライスしていた。私はこの仕事が大嫌いだったのだけれども、「やって」と言われたらしょうがない。ハム、ターキーが終わって、最後はローストビーフ。疲れと、あとちょっと!という気のゆるみから、してはいけない事をしてしまった。機械にくっついているハンドルで肉をおさえてスライスするのだが、私は小さくなったローストビーフのかたまりを手でおさえてスライスしようとしていた。その時。。。私は「キャー!!」と叫んだ。その十分くらい前に、カフェテリアから同じ様な叫び声が聞こえて、デビーが「今の、ふみえじゃないよね?ビックリした。気を付けてね」なんて言っていたそばから、右手の人さし指をそのスライス機で切ってしまった。キャッと叫んだ瞬間、デビーが「うそでしょっ!!」と言って走ってきた。私は冷静にスライス機のスイッチを止めて、じわりとにじみ出てくる血を水で流した。でも血は止まらない。。。。。そこにクラスのディレクターのクオモが走ってきた。そして「病院に行こう」と言われた。縫うのはかまわない。でも、私は注射が大嫌いだったから、麻酔が怖かった。
スカジットカウンティーホスピタルのエマージェンシールームに連れてかれた。そこには風邪で熱が出たという子供とそのおじいちゃんが座って待っているだけだった。そのあと待合室、病室合わせて1時間以上またされて、やっとドクターがやってきた。クオモは、一生懸命私の気をそらそうとして、自分が死にそうになった事故の話(全然、気はそれなかった。。。)などをしれくれた。私が「ここって、ドラマのERと同じエマージェンシールームなんだね」と言ったら「うん。でも大丈夫。ふみえは命にかかわるような怪我じゃないから」と言われた。そんな事わかってるよ。なんてツッコミをいれようか、なんて思いながら「そうだね」なんて言いながら、注射が怖くてドキドキしていた。
傷自体は浅いけど、長さが1インチ以上あったら縫うらしくて、やはり縫う事になった。麻酔の注射がすっごく痛かった。クオモは「僕の手を握ってな」なんて言ってくれたので、ローストビーフ臭い手でしっかりとクオモの手を握っていた。注射が終わればもうこっちの物。さすがに傷口を見る事はできなかったけど、4針ぬった。「あー。終わった。どうもありがとう」と清々しい気持ちでクオモに言ったら「ふみえ、明日注射打たないとダメだから。保険所に連れてってあげるからね」と言われた。「え?何の注射?」と聞くと「破傷風予防の注射。過去に打った事なかったら、打たないとダメだから」きゃ。。。もう注射はイヤなのに。。学校の駐車場でクラスメイトに会ったから「手きっちゃって、明日注射打つんだって。どんなのか知ってる?」って聞いたら、「うん。オシリにぶっといのを打たれるんだよ」と真剣な顔で言われて、怖くて倒れそうになった。その日の夜、日本の両親に電話をして「私、破傷風の注射打った事ある?」と聞いたら「うん。2歳の時に打ったよ」と言われて「やった〜!!じゃあ、打たなくていいんだ」とルンルンして次の日学校に行った。
次の朝、早速デビーに「ねえ、私破傷風の注射打った事あるんだって。よかった〜」と言ったら「それって、いつ?」と聞かれたので「2歳の時」と言うと「ははは!ナイストラーイ。ふみえ。過去5年間に打ってなきゃダメなんだよ」と言われてしまった。。。オリシに注射なんて、、、絶対にイヤだ。その日クオモの姿を見てなかったから、このまま時間が来て帰れたらラッキー!って思いながらソワソワしていたら、クオモは「忘れるわけ無いじゃん」って言いながらやってきた。
保険所に着くと、カードをもらった。そこには自分が打った注射の記録を書き込んで大切に保管しておくらしい。クオモは「僕も一緒に行ってあげようか?」って言ってくれたけれどもオシリを見られちゃ困るし「一人で大丈夫」と言った。病室、、、というよりも、小さなオフィスで注射を打つのは、今事務をしてくれたおばさん。「シャツの袖をまくって」と言われてほんのちょっとチクッ。これで終わり。「これでおわりなの?」と聞くと「そうよ!お金は7ドルだけど、払えないって言ったら払わなくてもいいから。払えないって事にしておきましょう」と言われてそのオフィスからでた。オシリに打たれなくてよかった〜とホッとした。
「指を切ってから、一週間目くらいに抜糸をしに病院に連れていくからね」とクオモは言ってくれた。その時には、病院のツアーもしようね。なんて。しかし、クオモはだんだん忙しくなっていって「抜糸は自分でしても平気だよ」なんて言う。しょうがないから眉毛を切る小さなハサミで一人抜糸をした。
長い夏学期が終わった。。。
スカジットカウンティーホスピタルのエマージェンシールームに連れてかれた。そこには風邪で熱が出たという子供とそのおじいちゃんが座って待っているだけだった。そのあと待合室、病室合わせて1時間以上またされて、やっとドクターがやってきた。クオモは、一生懸命私の気をそらそうとして、自分が死にそうになった事故の話(全然、気はそれなかった。。。)などをしれくれた。私が「ここって、ドラマのERと同じエマージェンシールームなんだね」と言ったら「うん。でも大丈夫。ふみえは命にかかわるような怪我じゃないから」と言われた。そんな事わかってるよ。なんてツッコミをいれようか、なんて思いながら「そうだね」なんて言いながら、注射が怖くてドキドキしていた。
傷自体は浅いけど、長さが1インチ以上あったら縫うらしくて、やはり縫う事になった。麻酔の注射がすっごく痛かった。クオモは「僕の手を握ってな」なんて言ってくれたので、ローストビーフ臭い手でしっかりとクオモの手を握っていた。注射が終わればもうこっちの物。さすがに傷口を見る事はできなかったけど、4針ぬった。「あー。終わった。どうもありがとう」と清々しい気持ちでクオモに言ったら「ふみえ、明日注射打たないとダメだから。保険所に連れてってあげるからね」と言われた。「え?何の注射?」と聞くと「破傷風予防の注射。過去に打った事なかったら、打たないとダメだから」きゃ。。。もう注射はイヤなのに。。学校の駐車場でクラスメイトに会ったから「手きっちゃって、明日注射打つんだって。どんなのか知ってる?」って聞いたら、「うん。オシリにぶっといのを打たれるんだよ」と真剣な顔で言われて、怖くて倒れそうになった。その日の夜、日本の両親に電話をして「私、破傷風の注射打った事ある?」と聞いたら「うん。2歳の時に打ったよ」と言われて「やった〜!!じゃあ、打たなくていいんだ」とルンルンして次の日学校に行った。
次の朝、早速デビーに「ねえ、私破傷風の注射打った事あるんだって。よかった〜」と言ったら「それって、いつ?」と聞かれたので「2歳の時」と言うと「ははは!ナイストラーイ。ふみえ。過去5年間に打ってなきゃダメなんだよ」と言われてしまった。。。オリシに注射なんて、、、絶対にイヤだ。その日クオモの姿を見てなかったから、このまま時間が来て帰れたらラッキー!って思いながらソワソワしていたら、クオモは「忘れるわけ無いじゃん」って言いながらやってきた。
保険所に着くと、カードをもらった。そこには自分が打った注射の記録を書き込んで大切に保管しておくらしい。クオモは「僕も一緒に行ってあげようか?」って言ってくれたけれどもオシリを見られちゃ困るし「一人で大丈夫」と言った。病室、、、というよりも、小さなオフィスで注射を打つのは、今事務をしてくれたおばさん。「シャツの袖をまくって」と言われてほんのちょっとチクッ。これで終わり。「これでおわりなの?」と聞くと「そうよ!お金は7ドルだけど、払えないって言ったら払わなくてもいいから。払えないって事にしておきましょう」と言われてそのオフィスからでた。オシリに打たれなくてよかった〜とホッとした。
「指を切ってから、一週間目くらいに抜糸をしに病院に連れていくからね」とクオモは言ってくれた。その時には、病院のツアーもしようね。なんて。しかし、クオモはだんだん忙しくなっていって「抜糸は自分でしても平気だよ」なんて言う。しょうがないから眉毛を切る小さなハサミで一人抜糸をした。
長い夏学期が終わった。。。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
アメリカのインターン
夏学期の間、カフェテリアでアルバイトをした。私が取っているクラスでは、どこかでインターンをしなくてはならない。そこで、私のクラスのディレクターのライルが、「夏休み、カフェテリアでそのインターンをしないか?」と言ってきた。夏に取るクラスとは重ならないし、それなら楽ちんと思って、働く事にした。この時、私はこれが全くのボランティアだとは知らず、「お給料、いつもらえるんだろう。。。」っていつも考えていた。インターンって事は、お給料ナシって事だったのだ。。。
朝の8時頃から、午後1時すぎまで、デビーというキッチンで放課後ハイスクールのクッキングクラスを教えている人と一緒に、お昼ごはんを作り、レジもする仕事だった。これは、結構楽しかった。ドーナツとベーグルをレジの前にかわゆく並べて、サンドイッチも作る。パスタを茹でて、冷凍のミートソースをかけてーなんて事をする毎日。生徒は夏学期だけあって、いつもの半分くらい。なのにどういうわけか、同じ時間に生徒がズラ〜〜ッとレジに並んじゃうんだけど、それ以外は、なんかほのぼのと楽しく働いた。
デビーとは、いろんな話をした。。。そして、驚くことがあった。ある日、台湾からの留学生がたくさんカフェテリアに居た。デビーが「ふみえ、あの人達は日本人?」と聞いてきたから「あれは、台湾人の留学生だよ」って答えた。「じゃあ、ふみえあの人達と話せるんでしょ?いいわね」と言って来た。「え?私は日本人だから、話せないよ」と言ったら「え?中国も日本も同じ言葉を話すんでしょ?」と言われた。。。きゃあ!この人、これで先生なの〜?!なんてちょとビビッてしまった。「ちがう。ちがう。ちがうよ〜!!」って教えておいたけど、まだ覚えているかなあ。英語を話せれば、世界中どこへ行っても英語で通じるかもしれない。でも、他の国の事について、あまりにも知らなすぎるのは恥だと思う。この日から、私は「デビー、あれは中国人だよ」とか「あれは、日本人」とか得意気に教えるようになった。そのたびデビーは「ふみえ、どうしてわかるの〜?!」なんて驚いてくれたから、それが私をいい気にさせてしまった。。。
夏学期には、夏の間だけの日本からの留学生も来る。どこかの大学とか短大から来るらしいのだけど、1セント10コくれて1ドルの物を買おうとする人とかも居て、アメリカに来たばかりの頃の私を思い出させた。スーパーでお財布を見せて「とって」なんて言っていた時もあったし。間違えてお金をくれる生徒達に「あのー。これ1セントだから、10コじゃダメなんだけど。。。」なんて言うと「あ、日本人なの?」なんて言われたりして。まさか日本人がカフェテリアで働いていると思わなかったみたいだ。生徒達が私を日本人と知った日から「こんにちは〜!」「ホットドックとハンバーガーくださーい」なんて最初からモロに日本語でオーダーしてくる人達ばかりになった。デビーは「フライドポテトください」なんて注文にも「はい。フライドポテトね」なんてわかるようにもなった。(フライドポテトはアメリカじゃフレンチフライと言う)デビーは私と働く事によって、この夏に色々な事を私から習ったのだった。。。なんて、ちょっと偉そうだけど。
この夏には、最後にと〜っても痛い事が待っていたのだった。。。
朝の8時頃から、午後1時すぎまで、デビーというキッチンで放課後ハイスクールのクッキングクラスを教えている人と一緒に、お昼ごはんを作り、レジもする仕事だった。これは、結構楽しかった。ドーナツとベーグルをレジの前にかわゆく並べて、サンドイッチも作る。パスタを茹でて、冷凍のミートソースをかけてーなんて事をする毎日。生徒は夏学期だけあって、いつもの半分くらい。なのにどういうわけか、同じ時間に生徒がズラ〜〜ッとレジに並んじゃうんだけど、それ以外は、なんかほのぼのと楽しく働いた。
デビーとは、いろんな話をした。。。そして、驚くことがあった。ある日、台湾からの留学生がたくさんカフェテリアに居た。デビーが「ふみえ、あの人達は日本人?」と聞いてきたから「あれは、台湾人の留学生だよ」って答えた。「じゃあ、ふみえあの人達と話せるんでしょ?いいわね」と言って来た。「え?私は日本人だから、話せないよ」と言ったら「え?中国も日本も同じ言葉を話すんでしょ?」と言われた。。。きゃあ!この人、これで先生なの〜?!なんてちょとビビッてしまった。「ちがう。ちがう。ちがうよ〜!!」って教えておいたけど、まだ覚えているかなあ。英語を話せれば、世界中どこへ行っても英語で通じるかもしれない。でも、他の国の事について、あまりにも知らなすぎるのは恥だと思う。この日から、私は「デビー、あれは中国人だよ」とか「あれは、日本人」とか得意気に教えるようになった。そのたびデビーは「ふみえ、どうしてわかるの〜?!」なんて驚いてくれたから、それが私をいい気にさせてしまった。。。
夏学期には、夏の間だけの日本からの留学生も来る。どこかの大学とか短大から来るらしいのだけど、1セント10コくれて1ドルの物を買おうとする人とかも居て、アメリカに来たばかりの頃の私を思い出させた。スーパーでお財布を見せて「とって」なんて言っていた時もあったし。間違えてお金をくれる生徒達に「あのー。これ1セントだから、10コじゃダメなんだけど。。。」なんて言うと「あ、日本人なの?」なんて言われたりして。まさか日本人がカフェテリアで働いていると思わなかったみたいだ。生徒達が私を日本人と知った日から「こんにちは〜!」「ホットドックとハンバーガーくださーい」なんて最初からモロに日本語でオーダーしてくる人達ばかりになった。デビーは「フライドポテトください」なんて注文にも「はい。フライドポテトね」なんてわかるようにもなった。(フライドポテトはアメリカじゃフレンチフライと言う)デビーは私と働く事によって、この夏に色々な事を私から習ったのだった。。。なんて、ちょっと偉そうだけど。
この夏には、最後にと〜っても痛い事が待っていたのだった。。。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
Sous Chefテスト
とうとう"Sous Chef"テストを受ける日が来た。このテストに受からないと、2年目に行けない。すっごいプレッシャー。テストは、ACF(アメリカン カリナリー フェデレーション)という所の全国共通のテスト。範囲が広くどうやって勉強したらいいのかがわからなかった。50問の5択くらいだったと思う。そして、ナイフカッツ。鶏を一羽おろすもの、みじん切り、サイコロ切り、細切り、などなど。切り方にも一つ一つ名前が付いていて、それを覚えるだけでも大変だった。例えば、細切りは"ジュリアン"、太切りは"バドネー"、"シフォナーデ"なんてのもある。そして、フランス料理のソースの基本となる"マザーソース"。5種類のソースを作る。これを1日目。2日目は、"ブラックボックス"と言う物で、その日に出される素材で4時間以内にメインディッシュを作る。メインには、肉、野菜、スターチがなければならない。いつもはこれだけなのに、例のシェフ リンダの提案で前菜とデザートも作らなくてはならなくなった。。。。これは、自分が好きな物を作って良いと言われて、前日に必要な物をオーダーした。心配なのは、メインの素材が何か。あまり得意でない物が出たらそれでおしまい。。。
1日目は、筆記テスト以外はうまく行った。ナイフカッツとソース作りは平気だったのだけど。。 筆記テストの中には、私がしらない事がたくさん含まれていた。例えば"グラニースミスは、いつ頃とれるか?"グラニースミスとは、青リンゴの事なのだけれども、私はその時それが青リンゴだと知らなくて困った。あと、デイツというプルーンのような物の事も知らなくて答えられず。 ヤンキーポットローストは、どうやって作るか。この料理は、アメリカでは知られている料理らしいけど、ポットローストという名前なのに、ポットローストではないなんて全然知らなくて。。。そんな事ばかりで、結局落ちた。"やっぱり"という気持ちと"どうしよう。。。。もうダメだ。。。"という気持ちで思わず泣いてしまった。シェフ ドンも、クラスメイトも慰めて励ましてくれたけど、本当にどうしたらいいのかわからなかった。このままじゃ、日本に帰るしかない。なんて、ほんの短い時間でいろ〜んな事を考えた。シェフ ドンが「明日もう一度テストを受けなさい」と言ってくれた。
私ともう一人、この試験に落ちた人との二人で次の日の朝、試験を受けた。。。やった!前日の夜に、ルームメイトの真理に手伝ってもらって勉強した甲斐があった。合格してやっと"Sous Chef"だ。これからは、キッチンコートに白いネクタイじゃなくて、赤になる。そして、シェフ インストラクターのアシスタントとして、一年目の生徒達に教える立場になった。
1日目は、筆記テスト以外はうまく行った。ナイフカッツとソース作りは平気だったのだけど。。 筆記テストの中には、私がしらない事がたくさん含まれていた。例えば"グラニースミスは、いつ頃とれるか?"グラニースミスとは、青リンゴの事なのだけれども、私はその時それが青リンゴだと知らなくて困った。あと、デイツというプルーンのような物の事も知らなくて答えられず。 ヤンキーポットローストは、どうやって作るか。この料理は、アメリカでは知られている料理らしいけど、ポットローストという名前なのに、ポットローストではないなんて全然知らなくて。。。そんな事ばかりで、結局落ちた。"やっぱり"という気持ちと"どうしよう。。。。もうダメだ。。。"という気持ちで思わず泣いてしまった。シェフ ドンも、クラスメイトも慰めて励ましてくれたけど、本当にどうしたらいいのかわからなかった。このままじゃ、日本に帰るしかない。なんて、ほんの短い時間でいろ〜んな事を考えた。シェフ ドンが「明日もう一度テストを受けなさい」と言ってくれた。
私ともう一人、この試験に落ちた人との二人で次の日の朝、試験を受けた。。。やった!前日の夜に、ルームメイトの真理に手伝ってもらって勉強した甲斐があった。合格してやっと"Sous Chef"だ。これからは、キッチンコートに白いネクタイじゃなくて、赤になる。そして、シェフ インストラクターのアシスタントとして、一年目の生徒達に教える立場になった。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記
インコンプリート
週に一度、放課後にバンケットの授業もあった。バンケットの際のカスタマーサービス、お金の計算の仕方などを教わるクラス。これは、結構楽しかった。そして、もう一つ、学校で行われるバンケットでボランティアをしなくてはならなかった。これは体力的にキツかった。朝の7時から学校で、バンケットがある日は全部終わるのが10時過ぎ。12時近かった事もあった。でも、バンケットは好きだった。みんなでそれぞれ分担されたものをこなし、最後にはみんなで一列になって盛り付けをしていく。そして、お客様達に"おいしかったわ"と喜ばれるのがうれしい。これでお給料ももらえたら、言うことなかったんだけど。。。
そんなこんなで、すごく忙しかった新しいクラスでの最初の学期が終わった。ホッとしたのも束の間、成績が。。。。フードセオリー以外は、良かった。でも、フードセオリーがインコンプリート。これは、やり直しという意味。クラスをもう一度取りなさいというよりも、パスするには何かが欠けていますという感じである。確かに、フードセオリーで毎週あったクイズは全然わからず、点数がずっと悪かった。でも、シェフドンは何も言ってくれなかった。。。いきなりインコンプリートを取ってガッカリした。そして、また不安になって行った。。。
2学期になって、早速シェフ ドンに成績の事で話しに行った。そうしたら、放課後毎日、一緒にその日に習った事を復習してくれると言ってくれた。シェフ ドンは、自分でレストランも経営していた。毎日学校のあとは、そのレストランで働いていたらしい。。。どこからそんなエナジーがでてくるのが不思議だった。朝は、いつもスッキリしていて、つまらないジョークをたくさん言ってクラスをしらけさせていた。
だんだんとクラスにも慣れて来た。それでも、まだ同じクラスの中にしゃべった事が無い人もたくさんいた。なんとなく、避けられているいような気さえしていた。。。こちらから微笑みかける勇気も無かったし。私のクラスには、個性の強い人が多かったような気がする。気がすっごく強くてクラス内でケンカして、いきなり辞めちゃう人などもいたりした。そのケンカの内容っていうのが、誰が後片付けしないとか、誰が洗い物をしないなんて事だ。その時は、アメリカ人って子供っぽい!って思った。40すぎの人達が、くだらない事でケンカしてるよ〜って笑っていた。。。後になって、自分もケンカするとはその時は、思ってもいなかったからだ。
2学期目は、フードセオリーのクラスでも、レポートを書いたり、オーラルリポートをするのにも慣れて、テストもシェフ ドンのおかげでパスする事ができた。なんとも平和な学期だった。
そんなこんなで、すごく忙しかった新しいクラスでの最初の学期が終わった。ホッとしたのも束の間、成績が。。。。フードセオリー以外は、良かった。でも、フードセオリーがインコンプリート。これは、やり直しという意味。クラスをもう一度取りなさいというよりも、パスするには何かが欠けていますという感じである。確かに、フードセオリーで毎週あったクイズは全然わからず、点数がずっと悪かった。でも、シェフドンは何も言ってくれなかった。。。いきなりインコンプリートを取ってガッカリした。そして、また不安になって行った。。。
2学期になって、早速シェフ ドンに成績の事で話しに行った。そうしたら、放課後毎日、一緒にその日に習った事を復習してくれると言ってくれた。シェフ ドンは、自分でレストランも経営していた。毎日学校のあとは、そのレストランで働いていたらしい。。。どこからそんなエナジーがでてくるのが不思議だった。朝は、いつもスッキリしていて、つまらないジョークをたくさん言ってクラスをしらけさせていた。
だんだんとクラスにも慣れて来た。それでも、まだ同じクラスの中にしゃべった事が無い人もたくさんいた。なんとなく、避けられているいような気さえしていた。。。こちらから微笑みかける勇気も無かったし。私のクラスには、個性の強い人が多かったような気がする。気がすっごく強くてクラス内でケンカして、いきなり辞めちゃう人などもいたりした。そのケンカの内容っていうのが、誰が後片付けしないとか、誰が洗い物をしないなんて事だ。その時は、アメリカ人って子供っぽい!って思った。40すぎの人達が、くだらない事でケンカしてるよ〜って笑っていた。。。後になって、自分もケンカするとはその時は、思ってもいなかったからだ。
2学期目は、フードセオリーのクラスでも、レポートを書いたり、オーラルリポートをするのにも慣れて、テストもシェフ ドンのおかげでパスする事ができた。なんとも平和な学期だった。
2009年1月23日|
カテゴリー:体験記