私がアメリカ留学するまで1
私が英語を勉強しはじめたのが小学2年生くらいの時。同じクラスにいた女の子が放課後週に一度英語クラスに行ってると聞いて、私も行きたくなったのがキッカケ。英語クラスとは言っても、英語に慣れるという感じで、文法もなにも無く、アルファベットのビンゴをしたり、英語の歌を歌ったり、という感じだった。でも、そのクラスに行きはじめて2〜3年もすると、ちゃんと教科書を使って会話の練習などもした。"マイネーミーズ フミ "ばっかり繰り返して、自分は"英語がしゃべれる〜!!"と興奮していたような気がする。この"マイネーミーズ"というのは、"My name is"の事なんだけれども、そんな事は知らず、"マイネーミズ"という単語だと思っていた。
その英語クラスは小学生だけの為のクラスだったので、小学校を卒業してからは特別 英語の勉強はしていなかった。でも、いつか"アメリカに留学したい"と思い始めていた。そして、将来は私が尊敬する人の通 訳になりたい!とも思うようになった。英語の成績は、すっごく悪かったのに、なぜか"留学"が頭から離れなかった。。。しかし、一人っ子の私に、留学するなんてできないだろうと思っていたし、勇気もないからそのうち忘れるだろうとも思っていた。
中学は、都内の女子校に行った。母が、高校受験は大変だろうからと言って、中学からエレベーター式に高校まで行ける所を探して、その学校に入った。その学校では、高校2年生の夏休みに、一ヵ月間の海外研修というものがあった。一ヵ月間、アメリカはワシントン州のシアトルという所で、アメリカ人家庭にホームステイするというものだった。シアトルなんて聞いた事もない所に一ヵ月もアメリカ人の家にホームスティなんて、あまり行きたいとは思わなかったけれど、まわりのみんなが申し込んだから、私も同じように積立貯金を始めた。それが、中学1年生の時。みんな、"まだ5年も先の事だし、イヤになったらやめればいいさ"と軽く考えていたんだけれども、時が経つのは本当に早く、高校に入ってから、海外研修に行く生徒の為の特別クラスが放課後始まった。アメリカ人の先生が学校に来て、"はじめまして"からハンバーガーの注文の仕方まで教えてくれたんだけれども、途中でやめていく友達もいたりして、私もどんどん不安になっていった。
辞める勇気もなければ理由もない。でも、こわくてこわくて"どうしようか〜〜"といつもクラスメイトと話していた。行かなかったら絶対に後悔すると思う。。でも、一家庭に一人。英語なんて、しゃべれないのにどうしたらいいの?なんて、話しているうちに、みんなのホストファミリーが決まって、家族の事が色々と書かれている紙をもらった。
私のホストファミリーで、お母さんは元スチュワーデス。今は、会計士の仕事をしている。お父さんのフレッドは大工さん。娘のジョアンナは、私よりも一つ年上で、息子のトニーは私と同じ歳。
アメリカに発つ直前にジョアンナから来た手紙には、"私の家族は、お母さんと、お母さんの友達、そして、私の弟と私"と書いてあった。"お母さんの友達"???意味がわからなかった。実は、この頃このお父さんとお母さんは、同棲(お母さんの連れ子付き。でも、ここはお母さんの家)していたのだった。私が日本へ帰ってすぐに結婚したみたい。それだけでも"アメリカっぽい〜〜〜〜"という感じだったのに、私のホストシスターのジョアンナは妊娠していて、もうすぐ結婚するって言っていた。最初はウソだと思ってたんだけれど、やっぱり本当だった。。信じられなかった。
そんな家族に暖かく迎えられて、本当の娘の様に扱ってもらった。英語ができない私に、一生懸命辞書を引きながら家族の事や、仕事の事など、色々と話してくれた。また、私が滞在したAnacortesという所は、シアトルから車で1時間半くらいの半島で、とてもきれいな所だった。広々としていて、空気が澄んでいて、海も山も見える。それだけでも"アメリカに居るんだな〜"と感じる事ができた。最初は不安だったものの、ホームスティの1ヵ月はあっという間にすぎて、最後は帰りたくなくて泣いた。一緒にアメリカに来た友達も、み〜んな泣いていた。あの時の事を思い出すと今でも涙がでてくるほどだ。みんな口々に"また、絶対に戻ってこようね!""来年また来る"なんて言っていて、私ももちろんまた戻って来たいと思っていたんだけれども、"きっとムリだな。。"とも思っていた。
ちょっと大げさかもしれないけれども、この16歳の夏のホームステイの出会いが私の人生を変えてしまったのである。。
その英語クラスは小学生だけの為のクラスだったので、小学校を卒業してからは特別 英語の勉強はしていなかった。でも、いつか"アメリカに留学したい"と思い始めていた。そして、将来は私が尊敬する人の通 訳になりたい!とも思うようになった。英語の成績は、すっごく悪かったのに、なぜか"留学"が頭から離れなかった。。。しかし、一人っ子の私に、留学するなんてできないだろうと思っていたし、勇気もないからそのうち忘れるだろうとも思っていた。
中学は、都内の女子校に行った。母が、高校受験は大変だろうからと言って、中学からエレベーター式に高校まで行ける所を探して、その学校に入った。その学校では、高校2年生の夏休みに、一ヵ月間の海外研修というものがあった。一ヵ月間、アメリカはワシントン州のシアトルという所で、アメリカ人家庭にホームステイするというものだった。シアトルなんて聞いた事もない所に一ヵ月もアメリカ人の家にホームスティなんて、あまり行きたいとは思わなかったけれど、まわりのみんなが申し込んだから、私も同じように積立貯金を始めた。それが、中学1年生の時。みんな、"まだ5年も先の事だし、イヤになったらやめればいいさ"と軽く考えていたんだけれども、時が経つのは本当に早く、高校に入ってから、海外研修に行く生徒の為の特別クラスが放課後始まった。アメリカ人の先生が学校に来て、"はじめまして"からハンバーガーの注文の仕方まで教えてくれたんだけれども、途中でやめていく友達もいたりして、私もどんどん不安になっていった。
辞める勇気もなければ理由もない。でも、こわくてこわくて"どうしようか〜〜"といつもクラスメイトと話していた。行かなかったら絶対に後悔すると思う。。でも、一家庭に一人。英語なんて、しゃべれないのにどうしたらいいの?なんて、話しているうちに、みんなのホストファミリーが決まって、家族の事が色々と書かれている紙をもらった。
私のホストファミリーで、お母さんは元スチュワーデス。今は、会計士の仕事をしている。お父さんのフレッドは大工さん。娘のジョアンナは、私よりも一つ年上で、息子のトニーは私と同じ歳。
アメリカに発つ直前にジョアンナから来た手紙には、"私の家族は、お母さんと、お母さんの友達、そして、私の弟と私"と書いてあった。"お母さんの友達"???意味がわからなかった。実は、この頃このお父さんとお母さんは、同棲(お母さんの連れ子付き。でも、ここはお母さんの家)していたのだった。私が日本へ帰ってすぐに結婚したみたい。それだけでも"アメリカっぽい〜〜〜〜"という感じだったのに、私のホストシスターのジョアンナは妊娠していて、もうすぐ結婚するって言っていた。最初はウソだと思ってたんだけれど、やっぱり本当だった。。信じられなかった。
そんな家族に暖かく迎えられて、本当の娘の様に扱ってもらった。英語ができない私に、一生懸命辞書を引きながら家族の事や、仕事の事など、色々と話してくれた。また、私が滞在したAnacortesという所は、シアトルから車で1時間半くらいの半島で、とてもきれいな所だった。広々としていて、空気が澄んでいて、海も山も見える。それだけでも"アメリカに居るんだな〜"と感じる事ができた。最初は不安だったものの、ホームスティの1ヵ月はあっという間にすぎて、最後は帰りたくなくて泣いた。一緒にアメリカに来た友達も、み〜んな泣いていた。あの時の事を思い出すと今でも涙がでてくるほどだ。みんな口々に"また、絶対に戻ってこようね!""来年また来る"なんて言っていて、私ももちろんまた戻って来たいと思っていたんだけれども、"きっとムリだな。。"とも思っていた。
ちょっと大げさかもしれないけれども、この16歳の夏のホームステイの出会いが私の人生を変えてしまったのである。。
2009年1月22日|
カテゴリー:体験記