私がアメリカ留学するまで2
アメリカ留学するまでのこと。
一ヵ月間のホームスティから帰ってきて、私はホストファミリーに手紙を書いた。そして、毎日毎日返事が来ないかなーと待っていた。
私と同じようにアメリカに行った友達も、みんな手紙を書くとハリキッていたにもかかわらず、ほとんどの子がサンキューカードさえも送っていなかった。
一ヵ月間、ボランティアでいろんな所に連れてってくれたりお世話してくれたにもかかわらず、ありがとうの一言も言えないなんて、私には信じられなかった。
また、手紙を書いても、ホストファミリーから返事が来ない子もいた。
私の家族は、半としに一度くらい"ずっと手紙書かないでごめんね"という同じ書きだしで始まる手紙をくれた。クリスマスカードや誕生日プレゼントは必ず送ってくれた。そんなやりとりの中で、写真も交換したりもして"またこの家族に会いに行きたい!"と思い始めた。
そんな時に、私が通っていた学校の先輩の話を聞いた。
その先輩も私と同じように海外研修に参加して、高校を卒業したあと、またその家族の元に戻ってホストシスターと一緒に大学に通 っているという。
私は、それがうらやましくてうらやましくて、"私も、やっぱりアメリカ留学したい!"と思うようになった。
でも、私はいっつも消極的で"どうせ、ダメだろうなあ"なんて思っていた。
高校卒業後は、都内の英語専門学校に入った。
生徒が一学年2000人くらいいる学校で、圧倒的に女の子が多かった。英語の専門学校だけあって、私と同じように将来留学したいという夢を持っている友達にたくさん会えたし、留学の経験がある先生もたくさんいて、いろいろ相談にのってもらった。
ネイティブスピーカーの先生もたくさん居て、学校の中だけ外国のような雰囲気で楽しかった。
私がこの専門学校の1年生の時、友達と二人でホストファミリーの所へ遊びにいった。
そこで、私はホストファミリーにアメリカ留学したいという話しをした。その時、お母さんが(ホストファミリーの)"じゃあ、ここに住んで、ここからジョアンナと一緒に学校に通えばいいじゃない?"と言ってくれた!
その時は、きっと興奮して鼻の穴が大きくなっていたと思う。すっごくうれしかった。"私の夢が叶う〜〜〜!!"と思った。お母さんに車で30分くらいの所にあるコミュニティーカレッジに連れてってもらった。広々としていて、いかにもアメリカの学校という感じ!絶対にこの学校に来る!!と決めた。
しかし、よ〜く考え直してみたら、お金も無いし、TOEFLも受けなくちゃいけない。
学校に手紙を書いて、申し込み書ももらわなくちゃいけない。
やらなきゃいけない事はたくさんある。
アメリカ留学案内の本を買って色々調べて、学校に手紙を書いた。
留学の手続きをしてくれる会社もあるみたいだけれども、結構お金がかかるし、留学したら何でも自分でやらなくちゃいけないんだからと思って、全部一人でやってみた。
近所に英語ができるおばさんがいたから、そのおばさんに手紙を見てもらったりして、どうにか学校案内と申し込み書をもらった。学校案内を見れば見る程、早くアメリカ留学したい!と思うようになっていった。。。
専門学校卒業後は、都内にある帝国ホテルで2年間ハウスキーパーのアルバイトをした。知っているおばさんがそこで働いていたから紹介をしてもらったんだけれども、すっごくキツかった。
時給は良かったんだけれども、一日に2〜3人組で25部屋くらい掃除する。始めた頃は、疲れすぎてご飯も食べられなかったくらい。でも、慣れてしまえばこっちのモノ。ガンガン飛ばす私だったんだけれども、あるパートのおばさんはそれが気にいらなかったらしくて、いぢめられた。。。
ハウスキーパーのパートは、おばさんばかり。
派閥とかもあって、コワい。でも私はみんなの子供よりも若いという事で、結構かわいがってもらった。
いぢめられて泣いたのは、その一度だけだった。
社員の人達は、みんな私と同じくらいの年齢で、よく飲み会に誘ってもらったり、部屋を掃除するフリをしてカギをしめたまま休憩したり、すごく楽しかった。
ここで会った人達とは今でも連絡を取り合っているんだけれども、ここでの人間関係があまりにも良かった為に、このハウスキーパーをやめたくなくなって、留学するのがちょっと遅れたような気がする。。
しかし、いつまでもパートでハウスキーパーをしているわけにはいかない。どうにかしなくちゃと思って、2度TOEFLを受けたんだけれども、どうしても3点足りなかった。アメリカ留学をあきらめたくない、と本気で焦った。
一ヵ月間のホームスティから帰ってきて、私はホストファミリーに手紙を書いた。そして、毎日毎日返事が来ないかなーと待っていた。
私と同じようにアメリカに行った友達も、みんな手紙を書くとハリキッていたにもかかわらず、ほとんどの子がサンキューカードさえも送っていなかった。
一ヵ月間、ボランティアでいろんな所に連れてってくれたりお世話してくれたにもかかわらず、ありがとうの一言も言えないなんて、私には信じられなかった。
また、手紙を書いても、ホストファミリーから返事が来ない子もいた。
私の家族は、半としに一度くらい"ずっと手紙書かないでごめんね"という同じ書きだしで始まる手紙をくれた。クリスマスカードや誕生日プレゼントは必ず送ってくれた。そんなやりとりの中で、写真も交換したりもして"またこの家族に会いに行きたい!"と思い始めた。
そんな時に、私が通っていた学校の先輩の話を聞いた。
その先輩も私と同じように海外研修に参加して、高校を卒業したあと、またその家族の元に戻ってホストシスターと一緒に大学に通 っているという。
私は、それがうらやましくてうらやましくて、"私も、やっぱりアメリカ留学したい!"と思うようになった。
でも、私はいっつも消極的で"どうせ、ダメだろうなあ"なんて思っていた。
高校卒業後は、都内の英語専門学校に入った。
生徒が一学年2000人くらいいる学校で、圧倒的に女の子が多かった。英語の専門学校だけあって、私と同じように将来留学したいという夢を持っている友達にたくさん会えたし、留学の経験がある先生もたくさんいて、いろいろ相談にのってもらった。
ネイティブスピーカーの先生もたくさん居て、学校の中だけ外国のような雰囲気で楽しかった。
私がこの専門学校の1年生の時、友達と二人でホストファミリーの所へ遊びにいった。
そこで、私はホストファミリーにアメリカ留学したいという話しをした。その時、お母さんが(ホストファミリーの)"じゃあ、ここに住んで、ここからジョアンナと一緒に学校に通えばいいじゃない?"と言ってくれた!
その時は、きっと興奮して鼻の穴が大きくなっていたと思う。すっごくうれしかった。"私の夢が叶う〜〜〜!!"と思った。お母さんに車で30分くらいの所にあるコミュニティーカレッジに連れてってもらった。広々としていて、いかにもアメリカの学校という感じ!絶対にこの学校に来る!!と決めた。
しかし、よ〜く考え直してみたら、お金も無いし、TOEFLも受けなくちゃいけない。
学校に手紙を書いて、申し込み書ももらわなくちゃいけない。
やらなきゃいけない事はたくさんある。
アメリカ留学案内の本を買って色々調べて、学校に手紙を書いた。
留学の手続きをしてくれる会社もあるみたいだけれども、結構お金がかかるし、留学したら何でも自分でやらなくちゃいけないんだからと思って、全部一人でやってみた。
近所に英語ができるおばさんがいたから、そのおばさんに手紙を見てもらったりして、どうにか学校案内と申し込み書をもらった。学校案内を見れば見る程、早くアメリカ留学したい!と思うようになっていった。。。
専門学校卒業後は、都内にある帝国ホテルで2年間ハウスキーパーのアルバイトをした。知っているおばさんがそこで働いていたから紹介をしてもらったんだけれども、すっごくキツかった。
時給は良かったんだけれども、一日に2〜3人組で25部屋くらい掃除する。始めた頃は、疲れすぎてご飯も食べられなかったくらい。でも、慣れてしまえばこっちのモノ。ガンガン飛ばす私だったんだけれども、あるパートのおばさんはそれが気にいらなかったらしくて、いぢめられた。。。
ハウスキーパーのパートは、おばさんばかり。
派閥とかもあって、コワい。でも私はみんなの子供よりも若いという事で、結構かわいがってもらった。
いぢめられて泣いたのは、その一度だけだった。
社員の人達は、みんな私と同じくらいの年齢で、よく飲み会に誘ってもらったり、部屋を掃除するフリをしてカギをしめたまま休憩したり、すごく楽しかった。
ここで会った人達とは今でも連絡を取り合っているんだけれども、ここでの人間関係があまりにも良かった為に、このハウスキーパーをやめたくなくなって、留学するのがちょっと遅れたような気がする。。
しかし、いつまでもパートでハウスキーパーをしているわけにはいかない。どうにかしなくちゃと思って、2度TOEFLを受けたんだけれども、どうしても3点足りなかった。アメリカ留学をあきらめたくない、と本気で焦った。
2009年1月22日|
カテゴリー:体験記