私がアメリカ留学するまで3
TOEFLの点数が私の行きたい学校が要求するものよりも、3点足りなかった。
でも、なぜか"これで大丈夫だ!"と思った。
早速、専門学校の先生、2人に推薦書を頼んで書いてもらい、成績証明書、高校の成績証明書をもらって、どうしてそこの学校に行きたいかというエッセイを書いて学校に送った。
わくわくしながら結果を待っていたのだけれども、連絡がな〜〜〜んにも来ないまま半年が過ぎた。さすがにこれはおかしいと思って、学校に手紙を書いたら
"あなたの書類を全部無くしてしまったので、もう一度全部送ってください"
という手紙が来た。信じられなかった。。その頃は、こういう事はアメリカではよくある事とは知らず、ちょっとアセッたが、ここは負けずに
"また同じ物を揃えるには、お金も時間もかかります。私には、そんな余裕はありません。絶対に見つけてください"
と手紙を書いた。それからすぐに
"見つかりました。ごめんなさい"という手紙が来てホッとした。
学校からの連絡を待つ間、パートのハウスキーパーは楽しいし、"私は本当にアメリカに行きたいのか?"と思うようになった。
私がパートしている頃は、専門学校で会った友達のほとんどはもう留学をしていた。
私は一人、お金をためる為に働いていたのだけれども、これは本当に留学したいからなのか、それとも特にやりたい事も無いし、就職もしていないからとりあえず留学なのか?とも思っていた。
スッキリしないまま毎日が過ぎて行き、また、学校からもなんの連絡もなかった。
そんなある日。ある会合に行った。
この会合で、私がとても尊敬しているある人の話を聞く事ができた。
小さい時から、いつかはこの人の通訳になりたいと思っていたのだった。その会合ではとても驚くことがあった。なんと、その人は私が行こうとしているシアトル郊外のちっちゃな街の市長からある賞状をもらったのだった。
私の頭はこんがららった。
どうして、あんなにちっちゃな街の人達が、この私が尊敬する人を知っているのだろう?
そして、私の目から、涙がボロボロと流れてきた。そして、やっぱり私は留学するんだ!と心に決めたのだった。
留学すると心に決めてからも、なかなか学校から連絡が来なかった。
私は、何度が学校に"3点TOEFLの点数が足りないけれども、どうしてもあなたの学校に行きたいのです。
一生懸命勉強します"という手紙を送った。そして、2003年の12月に、やっと入学許可が来たのだった。同封された手紙には、
"TOEFLの点数は足りないけれども、あなたがそこまで言うのなら信じましょう"
と書いてあった。
うれしかった。
でも、私の両親は複雑な顔をしていた。私も複雑だった。
それから、あっという間に毎日が過ぎ、2004年の3月に私はアメリカに来た。日本を発つ日、私は泣いてしまった。でも、それは日本から離れる淋しさの涙ではなくて、"やっと自分の夢が叶ったんだ"という感動の涙だったと思う。母も泣いていた。父もなんとなく赤い顔をしていた。
飛行機が離陸してからも、しばらく涙は止まらずタオルで顔をおさえていた。
でも、なぜか"これで大丈夫だ!"と思った。
早速、専門学校の先生、2人に推薦書を頼んで書いてもらい、成績証明書、高校の成績証明書をもらって、どうしてそこの学校に行きたいかというエッセイを書いて学校に送った。
わくわくしながら結果を待っていたのだけれども、連絡がな〜〜〜んにも来ないまま半年が過ぎた。さすがにこれはおかしいと思って、学校に手紙を書いたら
"あなたの書類を全部無くしてしまったので、もう一度全部送ってください"
という手紙が来た。信じられなかった。。その頃は、こういう事はアメリカではよくある事とは知らず、ちょっとアセッたが、ここは負けずに
"また同じ物を揃えるには、お金も時間もかかります。私には、そんな余裕はありません。絶対に見つけてください"
と手紙を書いた。それからすぐに
"見つかりました。ごめんなさい"という手紙が来てホッとした。
学校からの連絡を待つ間、パートのハウスキーパーは楽しいし、"私は本当にアメリカに行きたいのか?"と思うようになった。
私がパートしている頃は、専門学校で会った友達のほとんどはもう留学をしていた。
私は一人、お金をためる為に働いていたのだけれども、これは本当に留学したいからなのか、それとも特にやりたい事も無いし、就職もしていないからとりあえず留学なのか?とも思っていた。
スッキリしないまま毎日が過ぎて行き、また、学校からもなんの連絡もなかった。
そんなある日。ある会合に行った。
この会合で、私がとても尊敬しているある人の話を聞く事ができた。
小さい時から、いつかはこの人の通訳になりたいと思っていたのだった。その会合ではとても驚くことがあった。なんと、その人は私が行こうとしているシアトル郊外のちっちゃな街の市長からある賞状をもらったのだった。
私の頭はこんがららった。
どうして、あんなにちっちゃな街の人達が、この私が尊敬する人を知っているのだろう?
そして、私の目から、涙がボロボロと流れてきた。そして、やっぱり私は留学するんだ!と心に決めたのだった。
留学すると心に決めてからも、なかなか学校から連絡が来なかった。
私は、何度が学校に"3点TOEFLの点数が足りないけれども、どうしてもあなたの学校に行きたいのです。
一生懸命勉強します"という手紙を送った。そして、2003年の12月に、やっと入学許可が来たのだった。同封された手紙には、
"TOEFLの点数は足りないけれども、あなたがそこまで言うのなら信じましょう"
と書いてあった。
うれしかった。
でも、私の両親は複雑な顔をしていた。私も複雑だった。
それから、あっという間に毎日が過ぎ、2004年の3月に私はアメリカに来た。日本を発つ日、私は泣いてしまった。でも、それは日本から離れる淋しさの涙ではなくて、"やっと自分の夢が叶ったんだ"という感動の涙だったと思う。母も泣いていた。父もなんとなく赤い顔をしていた。
飛行機が離陸してからも、しばらく涙は止まらずタオルで顔をおさえていた。
2009年1月22日|
カテゴリー:体験記